けつきよく》麻雀界《マアジヤンかい》から抹殺《まつさつ》されるに到《いた》つたなどは甚《はなは》だ殷鑑《ゐんかん》遠《とほ》からざるものとして、その心根《こゝろね》の哀《あは》れさ、僕《ぼく》は敢《あ》へて憎《にく》む氣《き》にさへならない。同《おな》じ不正《ふせい》を企《くわだて》るのならば、百三十六|個《こ》の麻雀牌《マアジヤンパイ》の背中《せなか》の竹《たけ》の木目《もくめ》を暗記《あんき》するなどは、その努力感《どりよくかん》だけでも僕《ぼく》には寧《むし》ろ氣持《きもち》がいい。

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 日本《にほん》の麻雀《マアジヤン》も近頃《ちかごろ》は少々《せう/\》猫《ねこ》も杓子《しやくし》もの感《かん》じになつてしまつたが、僅《わづ》か四五|年《ねん》ほどの間《あひだ》にこれほど隆盛《りうせい》を見《み》た勝負事《しようぶごと》はあるまいし、またこれほど組織立《そしきだ》つて麻雀《マアジヤン》を社會化《しやくわいくわ》したのも日本《にほん》だけではあるまいか? 圍碁《ゐご》や將棊《しやうぎ》や花合《はなあは》せの傳統《でんとう》は長《なが》い。撞球《どうきう》にしてもそれが今《いま》ほど一|般的《ぱんてき》になるまでには二三十|年《ねん》はかかつてゐる。戸外《こぐわい》スポオツにしても、野球《やきう》は勿論《もちろん》だが、近頃《ちかごろ》それと人氣《にんき》を角逐《かくちく》しかけて來《き》た蹴球《しうきう》にしてもその今日《こんにち》を見《み》るまでには慶應義塾蹴球部《けいおうぎじゆくしうきうぶ》の隱《かく》れたる長《なが》い努力《どりよく》があつた。が、麻雀《マアジヤン》は忽《たちま》ちにして日本《にほん》の社會《しやくわい》に飛躍《ひやく》した。これは一|面《めん》は明《あきらか》に麻雀戲《マアジヤンぎ》そのものの魅力《みりよく》からだ。そして、一|面《めん》は空閑緑《くがみどり》以下《いか》の識者《しきしや》の盡力《じんりよく》からに違《ちが》ひない。
 僕《ぼく》の知《し》る限《かぎ》りでは、日本《にほん》の麻雀《マアジヤン》の發祥地《はつしやうち》は例《れい》の大震災後《だいしんさいご》に松山《まつやま》省《しやう》三が銀座裏《ぎんざうら》から移《うつ》つて一|時《じ》牛込《うしごめ》の神樂坂上《かぐらざかうへ》に經營《けいえい》して
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