窓を見上げた。と、窓には白いカアテンが降ろしてあつた。何か知らそのカアテンの裏に暗い物が隱れてゐるやうな氣がしてならなかつた。
 その頃から私はもう退院の日を樂しむやうになつてゐた。院長が大事をとつてその日をなかなか許してくれないのがもどかしかつた。六十日餘り――と、それが思掛ない事でもあつたやうに入院日數を數へてみて、私は或る晩急に懷しく自分の家の事、自分の部屋の事、家のまはりの景色などを思ひ浮べた。と、やがて其處へ歸る事が初めての家へ引つ越してでも行くやうな樂しさをそそつた。また或る朝初めて病院の玄關口へ出てみて、其處から前の電車通を眺めた時、その平凡な町の景色が私の眼にはどんなに懷しく、どんなに珍らしく、どんなに不思議に思はれたか分らなかつた。それは名所などと云はれる美しい景色などを眺めてゐるよりも、もつともつと樂しみな事だつた。そして、町を通る人達の一人一人が自分の友達ででもあるやうに感じられた。
 退院がもう四五日に迫つた或る日の朝だつた[#「だつた」は底本では「だつだ」]。空は午後の蒸暑さを語るやうにどんより曇つてゐたが、朝の食事を濟して窓際へ凭つてみると、私の向うの、青白
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