と、私の隣の、そのも一つ先隣の病室の扉が開いて、醫務室の方へ急いだらしい人の足音が私の病室の前を過ぎた。暫くすると、また三四人の靜かな足音と囁き聲が遠くの廊下から近づいて來て、その病室の方へはいつて行つた。そして、またしんとなつてしまつた。
「臨終が來たのぢやないか知ら……」と、私は急に不安に胸を衝かれながら考へた。その病室にはアメリカへ出稼ぎに行つて、肺結核に罹つて、故國で死にたいと云ふ望みから重體のまま歸朝して來た中年の紳士が、その十日程前からはいつてゐたのだつた。
「もう長くはないんですつて。ほんとに奧さんがお氣の毒ですわね……」と、武井さんは五六日前に庭の芝生の上に出てゐた、まだ若若しいその奧さんを私に教へながら、彼の身の上の事を話し聞かせてくれた。
 耳を澄ますと、その病室の方は相變らずひつそりとしてゐた。別に啜り泣くやうな聲も聞えなかつた。まだ其處までは行かないのかも知れない――と云つたやうな安堵が私の胸に湧いた。
「然し、故國で死ぬ――それが彼にとつてどれだけの滿足になつただらうか?」と、幾らか眠くなつて來た頭でそんな事を考へてゐる内に、遠い廊下の時計が十一時を寂しく打
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