の球をころばしながら何かを編んでゐた武井さんは、編棒の手を止めて窓の方に首を差し延べた。
「厭やな顏色をしてますね……」と、私は雨上りの夕方の、さはやかな氣持をまた何となく暗くされながら云つた。
「ええ、ほんとに。ちよつと顏立は好い方なんですけれどね……」
「惡いんぢやないんですか?」
「さうらしいの。明後日あたり盲膓の手術だつて――附添の本田さんが云つてましたわ……」と、武井さんも顏を曇らせながら云つた。が、直ぐふいと氣附いたやうに詞を續けた。「ちよつとちよつと、あれが檀那樣なんですよ……」
教へられてその窓の方を振り向くと、何時の間にか紺の脊廣を着た若い紳士がその女と並んで、胸から上を窓臺に凭せ掛けながら立つてゐた。二人は時時何か話し合つてゐるらしく、その唇の動くのが見えた。私はその二人の間に何か寂しいものを感じて、ぢつと視線を送り續けてゐた。と、向うからは半分桐の木蔭で見えるに違ひないこつちの窓を、その時二人は同じやうに眺めた。そして、私の存在をはつきり氣附いたやうな表情を浮べると、顏を見合せて何かを囁き合ふ樣子だつた。
「向うの窓に痩せこけた青年がゐませう。チブスで危い處を助かつたんですつて。運の好い人ですわね……」と、その刹那に女が夫にそんな事を囁いてゐるかも知れない事を感じて、私は何となく微笑したいやうな氣持になつた。その時武井さんがまた云つた。
「あの檀那樣があの奧さんにお優しいつてもう評判になつてゐますわ……」と、武井さんのその白い顏にはコケツトな感じのする微笑が浮んだ。が、私はその武井さんを見返りながら幽かに不快な氣持を感じた。そんな噂話が何となくその人達に殘酷な事のやうに思はれたのだつた。
「ほんとに優しさうな人ですね……」と、私はわざとそんな事を云つて、またその窓の方を振り向いた。が、もう其處には二人の姿は見えなかつた。白いカアテンが赤い西日に染まつて靜に搖れてゐるだけだつた。
「何て噂話の好きな人達なんだらう……」と、私はふとそんな事を心の中で考へながら、武井さんの顏をちらりと見た。實際、そんな風に一人一人の病人の噂話はまるで小鳥のやうな看護婦達の唇から、病院の隅から隅へと傳はつて行くのだつた。で、大概の病人は病室から一歩も出ないのに、よく其處此處の病人に就いて知る事が出來た。
「この先の向う側の病室に若い支那人の患者がゐますの。それが病氣
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