へれば、文藝的内容と映畫的内容とが大概どつちつかずで、前者に片よつて原作に忠實であらうとすれば前に云つた「春の眼覺め」のそれになり、後者に片よつて映畫的に面白く行かうとすれば「氷島の漁夫[#「氷島の漁夫」は底本では「永島の漁夫」]」のそれになるのが所謂文藝映畫の極りきつた二つの型で、結局どつちに傾いてもそれは自殺することになるらしい。
 滑稽なのは、いつだつたか「人形の家」を見たことがある。これは原作に忠實も忠實すぎて、あの三幕物を殆ど原作そのままの場面に撮影したもので、幸ひ私は内容的知識を持つてゐたからよかつたものの、それが無つたら[#「無つたら」はママ]結局何のことか分るまいと思はれる處の、スクリインの上では退窟至極なものだつた。またこれと正反對な對照をなして私の覺えてゐるのにダヌンチオの「犧牲」がある。何でもこの時は文藝映畫大會と云ふので、當時たしか三田の文科生だつた私は原作を讀み一種の興奮とともに見に行つたのだが、作の主人公が赤んぼに肺炎を起させようとして、吹雪の晩それを窓そとに突き出すあたりが僅に原作の面影を感じさせただけで、無理以上に無茶な脚色はまるで内容を捩ぢ曲げてしまひ
前へ 次へ
全9ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南部 修太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング