文藝作品の映畫化
南部修太郎
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(例)また、[#「また、」は底本では「また。」]
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最近、偶然に文藝作品の映畫化されたものをつゞけて三つ見た。ワイルドの「ウヰンダアミア夫人の扇」、ウエデキントの「春の眼覺め」、ロチの「氷島の漁夫」がそれだ。その中で「ウヰンダアミア夫人の扇」は原作とどうかうと云ふことは別問題として、流石にルビツチの監督したものだけあつて、映畫としても可成り面白く見た。然し、「春の眼覺め」は原作に非常に忠實であらうとする努力は見られたが、結局原作のパラフレエズになつてしまつて急所を突いた處がなく、映畫としては甚だ冗漫だつた。また、[#「また、」は底本では「また。」]「氷島の漁夫」は綺麗な映畫で撮影の苦心は大に感じられたが元來映畫化するのが無理な原作でずゐぶん苦しい映畫だ。あれを「氷島の漁夫」などと銘打たれては、作者生あらば抗議ぐらゐ申し出るに違ひない。
が、それはとにかく、文藝作品の映畫化は相變らず盛んらしい。これは文藝作品の――特に世界的な名篇傑作の撮影などと云へ
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