筋をからませ、綾をつけて、讀者を享樂させるものである。つまり人間の本能の弱味を巧に捉へてゐる處《ところ》に探偵小説の魅力がある。興味中心の讀物として探偵小説程私達にとつて面白いものはないと云《い》ふのは、この理由からに外ならないと、私は思ふ。
子供の時から體《からだ》が弱くて始終病床に臥せつたり、入院生活を送つたりした私は、十三四の頃から、病氣のなほりがけの徒然の時に、冒險小説などと一緒に、あの妙に好奇心[#底本は「好寄心」]を刺戟するやうな石版刷の毒々しい挿繪のある、[#底本では句点]外國の飜案物や花井お梅だの、五寸釘の虎吉だのと云《い》つた實説物の安い探偵本を讀みふけつた。雪の上に殘つた足跡だの、死人が左手に掴んでゐた三本の縮《ちゞ》れ毛だの、節穴からのぞいた鋭い瞳だの不思議な老人の出現だのと、好奇心は刺戟され、空想は活溌にはね廻り、作中の探偵と共に祕密を探る異樣な快感に醉はされながら、讀み始めると、私は終りまで本を離せなかつた。そして、どうかすると眞夜中過ぎても眠れずに、變に冴えてしまつた頭の中で物語のあとをまた色々に辿りながら、時には隣に寢てゐる祖父母達を呼び起したくなるやうな恐怖感に襲はれたりするのであつた。少年時代と探偵小説と、この頃の少年達がちやうど活動寫眞の探偵物に熱狂するやうにそこに何かの追憶を持たない人はないであらう。さうした讀書から自然に覺えた探偵ごつこ、自分の友達の多少|魯鈍《ろどん》なのを兇賊《きようぞく》に仕立てたりして、それをわら繩で縛り上げる敏腕な探偵は、私の少年時代のある時の姿だつたから……。
いや、さう云《い》ふ少年の日でなくとも、幾つとなく年を重ねたこの頃でも、私の探偵小説に對《たい》する興味はなかなか衰へない。ドイルやルブランの作品の多くは云《い》ふまでもなく、ポオの『病院横町の殺人犯』チエスタアトンの『青い十字架』など。またその作の性質から自然探偵小説的な匂のするクロポトキンの『革命家の思出』ステプニヤツクの『虚無主義者の經歴』、ロオプシンの『青白い馬』など、何《いづ》れも愛讀した。母が好きで買つてくる綺堂さんの『半七捕物帳[#底本は「張」]』と云《い》つたごく通俗的な探偵物語さへ、それが探偵物であるが故に病床などで時時讀む。が、何と云《い》つても探偵小説でその構想の卓拔、トリツクの妙味、筋の複雜、心理解剖の巧さ、文章の
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