のだ。それは私には出來ない。
「あれが彼等の云ふ全き人[#「全き人」に傍点]なのであらうか。」と、私はまた密かに疑つた。
私達は廣やかな長い廊下に出た。高い窓から柔かな乳色の光線が流れて、あたりは明るく密やかであつた。そして小さな咳をしてもまた朗かな反響が自分の耳に歸つて來た。
窓際の壁には磔刑前後の基督の事蹟が版畫になつて掛けられてゐた。鞭打たれつつ躓きつつ引かれて行く基督の姿は餘に痛ましく、餘に凄慘であつた。
「修道院の生は苦しく死は安し。」「人は瞑想によつてのみ信仰の道に達す。」私はさうした戒律の幾つかを反對の壁に仰いだ。
幾人かの修道士は時時靜かに廊下を往き來した。彼等の多くは若い日本人であつた。私達が頭を下げると、彼等は默したまま頭をさげた。然し私は自分と同胞の修道士の人達の顏が著しく蒼白く憔悴してゐるのを見た時、また其處に云ひ知れぬ寂しさと惱みの影を見た時、私の胸は怪しく悲しみを覺え、同時に或る驚きを感じた。私は祈祷室に於ける第一の感じを裏切られたのである。そして殉教と云ふ貴い犧牲の心の陰がふと私の頭の中を掠めて行つた。
「彼等もやがてあの異國の修道士のやうな冷たい彫
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