思ひます。信仰の力が得られたら、また世間へ出て實社會的の爲事をしても好いでせう。或は教へを以て人達を救ふのも道の一つです。それでなければ彼等の信仰は生きて來ないぢやないでせうか。神に奉仕すると云ふこと、或は信仰を得ると云ふこと――それは我我の世界に住んでゐては遂に出來ないことなのでせうか。人を愛して絶えず群集の中に身を置いた處が基督の偉大な處だと思ひます。もつと好い意味に人間的であつて欲しい。それが私のトラピストに對する氣持です。」
「さう……何と云ひますかね。とに角偏狹です。一種の型の中に填つた人達のやうな氣がしますよ。」
「厭世家とでも云ふんでせう。厭世家と云ふものは一種のイゴイストですから……」
聲が途切れると、またしんとなる。煙草の烟が流れもしないでぢつと漂つてゐる程、室の空氣は落ち著いてゐた。
「然し我我が想ふ程、嚴しい生活ではないのかも知れませんね。」Kさんは少し皮肉なやうな調子で云つた。私もそれにつれて何氣なく笑つた。が、それは二人の今密かに感じてゐる或る心持にそぐはなかつたやうに見えた。二人はテエブルの面を見詰めながらふと默り込んだ。
と、その沈默をまさぐるやうに急に鐘の響が聞えた。
それはあたりの靜かな空氣の中にしんしんと沁み渡つた。すべてのものの息の根に迫るやうにさわやかに響いた。そして幽かな餘韻を殘しながら、次第に遠い靜けさの中に消えて行つた。私は小指の先を動かすのも恐れるやうにして、その鐘の響に耳を傾けてゐた。
「好い音色ですね。」と、最後の餘韻が吸はれるやうに絶えて後暫くしてKさんが重く口を切つた時、私はほつと息をついた。
「それでは修道院の方へ……」と、S氏が扉を開けながら聲を掛けた。私達は靜かに立ち上つた。そして外に出ると、細い砂利の上を踏みながら入口の方へ歩いて行つた。
私も中では彼等と同じく沈默しなければならないのだと思つた。と同時に、私は何か嚴かなものに近づくやうな敬虔な感じと、不安の念を意識した。
「これは祈祷室です。」と、S氏は密やかに云つて、第一の扉を靜かに開いた。
眞白い壁と薄樺色に塗られた木具とに、室の中は明るく柔かに沈んで、十字架の基督の像を挾んだ二人の聖者の像が正面の高壇にぢつと立つてゐた。室の空氣は怪しく沈んで、その中から身を引き寄せるやうな異樣な誘惑が迫つて來た。
一人の異國の修道士が近くの窓際で讀書に耽つてゐた。彼は重たげに顏を擧げて、私達の姿に Pensive な瞳を投げた。そして、幽かに禮に答へると、また靜かに眼を頁《ペイジ》の上に落した。また一人の異國の修道士は僧衣を引き摺りながら、足音もなく這入つて來た。彼は聖像の前に嚴かに十字を切ると、金色の燭臺を降して、それを兩手に支へたまま、人無きが如くに私達の眼の前を去つて行つた。
「何と云ふ人達だらう……」と、私は思つた。
彼等の顏には少しの表情の動きも現れなかつた。その態度には冷たさを感じるまでの落ち著きがあつた。そして、その姿には何等の人としての親しみを感じさせるものがなかつた。若し彼等が動かなかつたならば彫像のやうに見えたかも知れない。私は明かに自分が特殊の世界の中に立つてゐることを意識した。彼等と自分との間には大きな淵がある。淵を越えて彼岸に達しなければ、私には彼等の眞が分らない。また彼等に親しみが感じられない。然し、この淵を越える爲めには私は自分の人間性を失つてしまはなければならないのではあるまいかと思つた。少くとも自分の眞底から流れて、すべての人を愛しすべての人に親しみたいと云ふ感情を拒否してしまはなければならないのだ。それは私には出來ない。
「あれが彼等の云ふ全き人[#「全き人」に傍点]なのであらうか。」と、私はまた密かに疑つた。
私達は廣やかな長い廊下に出た。高い窓から柔かな乳色の光線が流れて、あたりは明るく密やかであつた。そして小さな咳をしてもまた朗かな反響が自分の耳に歸つて來た。
窓際の壁には磔刑前後の基督の事蹟が版畫になつて掛けられてゐた。鞭打たれつつ躓きつつ引かれて行く基督の姿は餘に痛ましく、餘に凄慘であつた。
「修道院の生は苦しく死は安し。」「人は瞑想によつてのみ信仰の道に達す。」私はさうした戒律の幾つかを反對の壁に仰いだ。
幾人かの修道士は時時靜かに廊下を往き來した。彼等の多くは若い日本人であつた。私達が頭を下げると、彼等は默したまま頭をさげた。然し私は自分と同胞の修道士の人達の顏が著しく蒼白く憔悴してゐるのを見た時、また其處に云ひ知れぬ寂しさと惱みの影を見た時、私の胸は怪しく悲しみを覺え、同時に或る驚きを感じた。私は祈祷室に於ける第一の感じを裏切られたのである。そして殉教と云ふ貴い犧牲の心の陰がふと私の頭の中を掠めて行つた。
「彼等もやがてあの異國の修道士のやうな冷たい彫
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