りましたなあ、全く……」
 和服は呟きながら、懷を撫で廻した。
 白けたやうな沈默が暫く續いた。
 「鐵道院へ嚴談してやらにやならん。――不埓きはまる……」
 やがて赤鼻は、それが精一杯の欝憤だといふやうな聲で毒毒しく呟いた。そして、取り澄ました眼の前の女の顏にじろりと眼をくれながら、厚い唇をふつとふくらましながら溜息づいた。
 ………………
 汽車が名古屋に着いたのは十二時近くであつた。と、腰掛にぢつと坐り込んでゐた女は靜に空氣草履をはいて、寢倒れた乘客達や、卑しげな眼を向けてゐる政黨屋達の姿を尻目にかけるやうにして、呼び入れた赤帽に旅行鞄を、そして、右手にオペラパツク、左手にパラソル[#底本では「バラソル」、185−14]をと、はいつて來た時の樣子さながらにそそくさと車室を出て行つた。
 私は窓をあけて冷たい風に頬吹かせながら、プラツトホオムを急ぎ足に歩いて行く女の姿をぢつと見送つてゐたが、遠くのブリツヂの階段を二つの白い點のやうに撥ね上る白足袋がふと視野から消えた時、
 「二人はぐる[#「ぐる」に傍点]だつたんだな……」
 さうした意識が不意に鋭く頭の中に閃いた。私ははつとして思はず息を呑んだ。そして、そのままそつと腰掛に坐り直して自分を振り返り、詞もなくぽかんとした表情で並んでゐる政黨屋の三人の顏をちらと見返したが、刹那の思掛ない發見に對する驚きが消えた時、私はぷつと吹き出したいやうな氣持になつた。自分を、三人を思ふ樣せせら笑つてやりたいやうな……。
 けたたましい汽笛を夜闇の中に鳴り響かせながら、やがて汽車は靜にゆるぎ出した。



底本:「若き入獄者の手記」文興院
   1924(大正13)年3月5日発行
入力:小林徹
校正:柳沢成雄
2000年2月19日公開
青空文庫作成ファイル:
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