くその刻一刻には處女作《しよぢよさく》を書き上げ得られなかつた寂しさ悲しさも、すつかり忘れてゐたのであつた。
 今ここに、その時訪ねた修道院の印象なり感じなりを述べることは、既に「修道院の秋」の中に書き盡《つく》したことであるから、はぶくことにしたい。が、とにかくその日の四五時間を觸《ふ》れ過《すご》した修道院のすべては、たとへばそこに住む修道士達の生活も、單《たん》なる建物の感じそのものも、その建物をとり卷く自然の情景も、いや、眼に觸《ふ》れ、耳に響き、心に傳《つた》はつた些細《ささい》な見聞のあらゆるものまでが、私にとつては深い感激であり、驚異であり、讚美であり、欽仰《きんかう》であつた。
「この穢土《えど》濁世《だくせい》にこんな人達が、こんな人間生活が、そして、こんな地域があつたのか? いや、あり得たのか?」
 私が殆《ほとん》ど全身的に搖り動かされたのは、さう云《い》ふ事實《じじつ》の發見であつた。
 當別岬《たうべつみさき》から再び小蒸汽船に乘《の》つて函館へ歸《かへ》る私は、深い感動をうけたあとの敬虔《けいけん》な沈默《ちんもく》の中にあつた。そして、つつましやかな氣持で
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