るのを禁じ得なかつた。
 云《い》ふまでもなく、如何《いか》なる作家にとつても處女作《しよぢよさく》を書いた當時《たうじ》の思ひ出ほど懷《なつか》しく、忘れ難《がた》いものはあるまい。いや、たとへ、世に知られた作家ではなくとも、小學校へはひつて文字を習ひ覺《おぼ》え、幼《をさな》い頭にも自分の想《さう》を表《あらは》すことを知つて、初めて書き上げた作文に若《も》し思ひ出が殘《のこ》るならば、それは人人《ひと/″\》の胸にどんな氣持を呼び起すことであらうか? また世の蔭《かげ》にひそんで人知れず自己の作品を書き努める無名の作家、雜誌《ざつし》への投書を樂しむつつましき文藝愛好者、そこにもそれぞれに懷《なつか》しく、忘れ難《がた》い處女作《しよぢよさく》の思ひ出は隱《かく》れてゐることであらう。そして、その完成までの苦心努力が深ければ深いほど、思ひ出は時には涙ぐみたいほど痛切《つうせつ》であるに違ひない。
 その年の八月初めであつた。私は膽振《ゐぶり》の國の苫小牧《とまこまい》に住む妹夫婦の家を訪ふべく、初めての北海道の旅路《たびぢ》についた。東京を立つてから山形、船川港《ふなかはかう》、
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