かに窃盜の被害は受けてをりません。無論、犯人が實際は金庫から何かを窃み出しながら、内部にちつとも手を觸れなかつたやうに見せ掛けることも容易ではありますがね‥‥」
と、熱心に詞をつづけて、グスタフソンはそこでちよつと一息入れながら、
「それから金庫の扉が明けつ放しになつてゐたのは注意すべき事實です。そして、あらゆる状況は犯人が老人と知合ひの間柄だつたことを示してゐます。たとへば犯人が借金の返濟に來たとほのめかし、金庫にしまつてある借用證文を老人に戻してくれと言つたとしますね。すると、恐らく老人は金庫を開いて證文を取り出すでせう。その咄嗟に犯人はそれを奪ひ取り、慘虐な襲撃を加へる‥‥」
「なるほど、一つの考へ方です、而も、如何にも頷ける‥‥」
と、ゼッテルクイストは強い同感の色を見せた。グスタフソンはソオルを顧みながら、
「君、今朝の内に何か獲物があつたかね?」
「さうでございますな。先づ第一に‥‥」
と、ソオルは明快な句調で受け答へて、
「鐵の管にあつた指紋を調べました。正しく男子のものです。然し、指紋臺帳に全然載つてない所を見ると、前科者でないのは明瞭です。第二に各方面を搜査しましたが、島から姿を隱したといふ例の男の居所はまだ突き留めることが出來ません。それから第三は水曜の午後二人の男を島まで乘せたといふ自動車の運轉手ルンドベルグを發見したことです。二人は釣に行くと申しとつたさうですが、一人が角縁の眼鏡を掛けてゐたといふ點は島の者の證言と全く符合してをります。なほその眼鏡の男は貴族風に見え、詞に外國訛りがあつたさうです。」
ここでソオルは急に語調を改めながら
「それから今一つは老人が先週の土曜に銀行へ出掛けたといふ例の聞込みです。行員に質してみますと、その時格別の大金などは引き出さなかつたさうですが、をかしいのは銀行へはいつて來た時非常に苛立つてゐたといふ[#「といふ」は底本では「とい」]事實です。そして一先づ立ち去つて二時間ばかりで戻つてくるとまた暫く銀行にゐて一人の行員と何か話し合つてゐたと言ひます。で、さきほどその行員を訪ねてみましたが、折惡しく不在で、暫くしたらもう一度行つてみるつもりでをります。」
「ふふウん、そりや素晴しい手掛りだ。」
と、グスタフソンは我が意を得たりとばかりに力強い調子で言つた。
「何しろ時間を空費しない事だね。そして、何か重大な發見があつたら、時を移さず電話を掛けてくれ給へ。さつきも言ふ通り、この際緊急事は一刻も早い犯人の捕縛だよ。」
意外な展開
三十分ほどの後、ソオル主任警部は銀行の一室で尋ねる行員と膝を突き合せてゐた。行員はその日のゼッテルベルグ老人の樣子をあらまし語り終ると、何の用事でどこへ行つたかは分らぬが、その時老人がすぐ近所の町角に駐車してゐる辻自動車に乘つたといふことを傳へて、ひよいと傍の窓を開くと、
「あア、あすこにゐるあの自動車ですよ。」
その詞に躍り上つてそこへ駈けつけると、ソオルは件の辻自動車《タクシー》運轉手ヘルベルグを發見した。早速老人の人相を語り聞かせると、運轉手は合點しながら、
「ヘエたしかに乘せましたよ。人相もよく覺えてまさア。おつしやる通り先週の木曜のお晝過ぎでしたが、北マラアストランド街の素晴しい屋敷まで行きました。何でもフオン・シイドウ男爵を訪ねるんだが、おいでになるかななんて言つてでした。」
どきりとして、ソオルの顏は思はず固くなつたが、その驚きの色はうまく胡麻化してしまつた。ヤルマア・フオン・シイドウ男爵と言へばスウェーデン切つての金持で、大資本家の一人だつた。
「やア、どうも有り難う。」
と、さりげなく言つて、ソオルはその町角を立ち去つた。
一町場ほど行くと、ソオルは別の辻自動車を北マラアストランド街へ急がせた。車中、ソオルは胸の中に自問自答しつづけた。音に聞えた富豪の男爵と名も無い金貸の老人との間にいつたいどういふ繋りがあるのか? 例の金庫の中にも二人の關係を示すやうな何物も見當りはしなかつた。況してやモルトナス島のあの兇惡な慘劇とストックホルムの富の王者とを結びつけるなどは?
北マラアストランド二十四番街、宏壯な五階建てのアパアトメント・ハウス、その三階の八室全部を領するシイドウ男爵家、程なくソオルが、そこの玄關に案内を乞ふと、暫くして戻つて來た若い小間使は、男爵が書齋で面會する旨を傳へた。
ソオルは廊下を通り、豪奢に華麗に飾りつけた應接間を横切ると、やがてちよつとした部屋へはいつて行つた。すると、もう老年に近い、丸顏の人間が裝飾的な彫刻のある机を前にして、背中の高い椅子に大きな體をゆつたりと凭せてゐた。そして、表情のない眼でぢつとソオルの方を見守りながら、
「どういふ御用向きかな?」
ソオルはモルトナス島の慘劇
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