可成りな不満を氏の芸術に抱いてゐるものであるが、恐らく氏はその壮心と精進的態度の下に自己を鞭打ちながら、やがては私の所期する処に自己の芸術を展開させて行くに違ひないと信じてゐる。それに氏は自己の芸術の是非長短に決して盲目な人ではないと思ふから……。随つて、現在の芥川氏に対する私の最も自然な気持は、氏の芸術に今更らしい批判や要求を発するよりも、寧ろ氏自らがその努力に依つて開拓して行く処を静に見守つてゐようとする事にある。それには、明に内に苦しみつつある氏に対して、傍から今は何も云はずに置きたいと云ふ感情も私には無いとは云へない。尤も、私の詞が氏に影響するなどと考へるのは、或は少々の烏滸の沙汰かも知れないが……。然し、とも角もこの一文の執筆を約してしまつた私は、その責任だけの事は答へなければならない。――
 確か菊池[#「菊池」に白丸傍点]寛氏だつたかと思ふが、「芥川の作品は銀のピンセツトで人生を弄んでゐるやうな、理智の冷たさがある……」と云ふ意味の事を述べてゐたのを、私は適言だと思って未にはつきり憶えてゐる。
 処で、芥川氏の芸術に対して私が根本的に感じる不満は、それが全く人間的な体現だ
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