反ける事も出來なかつた。恰も地に釘づけされたやうに、凝化してしまつたやうに、私は手術臺を二三尺離れて立ち惱んでゐたのだつた。
『あたしが惡いわ、いいえ、あたしが惡いわ。でも、もう爲方がない‥‥‥どうする事も‥‥‥苦しい‥‥‥痛い‥‥‥許して、許して‥‥‥あの晩、ほんとにあの晩‥‥‥貞雄さん‥‥‥誰にも、誰にも‥‥‥考へ‥‥‥思ひ違ひ‥‥‥かんに、かんにして‥‥‥』と、お前の無氣味な鋭さを持つた聲は、何時か絶え入るやうな涙聲に變つて、其處でポツンと切れた。そして、すいすいと、宛ですべてが裏はらに變つて了つたやうな安らかな息が、お前の口を洩れて來た。
『三十‥‥‥』と、數へ聲を止めてゐた助手は、急に張り上げた聲でまたお前の耳元に叫んだ。
『あ、あ、あ‥‥‥』と、やがてお前はそれに答へるともない調子で呟くやうに云つたかと思ふと、深い息を吸つてそのままひつそりと鎭まつてしまつた。
 長い、けれど總身を引き絞るやうな沈默が續いた。
 私はカアテンを透して差す西日影にほの白く浮んだお前の顏を、黒髮を、瞑《つぶ》つた眼を、幽かに波打つ胸を、脹らんだ乳を、開き出された生々しい腹部を――鋭い視線の刄物で
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