勝負《せうふ》事も背《はい》後に生|活《くわつ》問題《もんだい》が裏《うら》附けるとなれば一そう尖鋭化《せんえいくわ》してくる事は明かだが、それにしても將棋《せうき》がああまでも戰《たゝか》はなければならぬものになつて來た事は正しく時代の推移《すいい》の然《しか》らしむる所であらう。爭《あらそ》ひ將棋《せうき》に敗《やぶ》れて血《ち》を吐《は》いて死ぬなどは一|種《しゆ》の悲壯《ひそう》美を感《かん》じさせるが、迂濶《うくわつ》に死ぬ事も出來ないであらう現《げん》代の專《せん》門|棋士《きし》は平|凡《ぼん》に、而《しか》もジリリと心にかぶさつてくる生|活《くわつ》問題《もんだい》の重|壓《あつ》を一方に擔《にな》ひながら、寧《むし》ろより悲壯《ひそう》な戰《たゝか》ひを戰《たゝか》つてゐると見られぬ事はない。

 =3=[#「=3=」は縦中横]老齡と棋力

 今は隱退《いんたい》してゐる小菅|劍《けん》之|助《すけ》老《ろう》八|段《だん》が關根《せきね》金次郎名人に向《むか》つて、年《とし》をとると落《らく》手があり勝《か》ちになる。落《らく》手があるやうでは名手とは言へぬ。假《か
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