》りにも名人上手とうたはれた者は年をとつてつまらぬ棋譜《きふ》を殘《のこ》すべきでない――と自重を切|望《ぼう》したといふ。これは或る意味《いみ》で悲壯《ひそう》な、而も甚《はなは》だ味《あじは》ふべき詞《ことば》だ。僕《ぼく》は今も壯《そう》者に伍《ご》していさぎよく戰《たゝか》ふ關根《せきね》名人の磊落性《らいらくせい》を寧《むし》ろ愛敬《あいけい》し、一方自|負《ふ》しつつ出でざる坂《さか》田三吉八|段《だん》に或る憐憫《れんみん》さへ感《かん》じてゐる者だが、將棋《せうき》だけは若《わか》い者には勝《か》てないものらしい。老齡《ろうれい》と棋《き》力の衰頽《すいたい》と、これは悲《かな》しい事に如何ともし難《かた》いものだからだ。僕《ぼく》は出でて戰《たゝか》はざる如き棋士《きし》は如何なる棋《き》力ありとも到底《とうてい》尊敬《そんけい》出來ぬが、その意味《いみ》では小菅|翁《おう》の詞《ことば》に同|感《かん》し能《あた》はぬでもない。が、畢竟《ひつけう》それもまた名人上手とかいふ風な古來の形|式《しき》主|義《ぎ》が當|然《ぜん》作り出す型《かた》に捉《とら》はれた觀念《
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