ま》したのだが、二人とも一|向《こう》棋《き》力が進《しん》歩しない所まで似《に》てゐるのだから、聊《いさゝ》か好敵《こうてき》手|過《す》ぎる嫌《きら》ひもある。尤《もつと》も、あれで若《も》しどつちかが斷然《だんぜん》強《つよ》くでもなつたとしたら、恐《おそ》らく進《すゝ》まぬ方は憤然《ふんぜん》町内を蹴《け》つて去《さ》つたかも知れない。桑《くは》原、桑《くは》原!
=2=[#「=2=」は縦中横]痛まし專門棋士
名人|决《けつ》定|戰《せん》の金、花田|兩《れう》八|段《だん》の對局《たいきよく》、相踵いで大崎、木見|兩《れう》八|段《だん》の對局《たいきよく》を觀戰《くわんせん》して、僕《ぼく》は專《せん》門|的《てき》な棋戰《きせん》の如何に苦《くる》しく辛きものであるかをつくづく思《おも》ひやつた。そして、その立場には寧《むし》ろ痛《いた》ましさを感《かん》じた。とにかくその初《はじ》めは切|實《じつ》な人間生|活《くわつ》の慰樂《いらく》として遊《あそ》びとして創《つく》り成された將棋《せうき》に違《ちが》ひないと思《おも》ふが、それを慰樂《いらく》や遊《あそ》びの域《いき》を遙に越《こ》えて、正に骨味《ほねみ》を[#「骨味《ほねみ》を」はママ]削《けづ》るが如くあれほど必《ひつ》死に眞劍《しんけん》に爭《あらそ》ひ戰《たゝか》はなければならないとは! さう言えば、昔《むかし》爭《あらそ》ひ將棋《せうき》に敗《やぶ》れて血《ち》を吐《は》いて死んだ若《わか》い棋士《きし》があつた。それは恐《おそ》らく戰《たゝか》ふ者の誇と名|譽《よ》にかけて、または男の意《い》地にかけてであつたらう。が、現在《げんざい》では對局《たいきよく》の陰に實際的《じつさいてき》な生|活《くわつ》問題《もんだい》まで含《ふく》まれて來たらしい。
閑《かん》中の余技《よぎ》として樂《たの》しむ僕達《ぼくたち》の棋戰《きせん》でさへ負けては樂《たの》しからず、惡《あく》手を指《さ》したり讀《よ》みの不足で詰《つ》みを逸《いつ》したりした時など、寢床《ねとこ》にはひつても盤面《ばんめん》が腦裡《のうり》に浮《うか》んで來て口|惜《や》しさに眠《ねむ》れぬ思《おも》ひのする事しばしばだが、敗《やぶ》れたる專《せん》門|棋士《きし》の胸《けう》中や果《はた》して如何に? どんな
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