勝負《せうふ》事も背《はい》後に生|活《くわつ》問題《もんだい》が裏《うら》附けるとなれば一そう尖鋭化《せんえいくわ》してくる事は明かだが、それにしても將棋《せうき》がああまでも戰《たゝか》はなければならぬものになつて來た事は正しく時代の推移《すいい》の然《しか》らしむる所であらう。爭《あらそ》ひ將棋《せうき》に敗《やぶ》れて血《ち》を吐《は》いて死ぬなどは一|種《しゆ》の悲壯《ひそう》美を感《かん》じさせるが、迂濶《うくわつ》に死ぬ事も出來ないであらう現《げん》代の專《せん》門|棋士《きし》は平|凡《ぼん》に、而《しか》もジリリと心にかぶさつてくる生|活《くわつ》問題《もんだい》の重|壓《あつ》を一方に擔《にな》ひながら、寧《むし》ろより悲壯《ひそう》な戰《たゝか》ひを戰《たゝか》つてゐると見られぬ事はない。
=3=[#「=3=」は縦中横]老齡と棋力
今は隱退《いんたい》してゐる小菅|劍《けん》之|助《すけ》老《ろう》八|段《だん》が關根《せきね》金次郎名人に向《むか》つて、年《とし》をとると落《らく》手があり勝《か》ちになる。落《らく》手があるやうでは名手とは言へぬ。假《か》りにも名人上手とうたはれた者は年をとつてつまらぬ棋譜《きふ》を殘《のこ》すべきでない――と自重を切|望《ぼう》したといふ。これは或る意味《いみ》で悲壯《ひそう》な、而も甚《はなは》だ味《あじは》ふべき詞《ことば》だ。僕《ぼく》は今も壯《そう》者に伍《ご》していさぎよく戰《たゝか》ふ關根《せきね》名人の磊落性《らいらくせい》を寧《むし》ろ愛敬《あいけい》し、一方自|負《ふ》しつつ出でざる坂《さか》田三吉八|段《だん》に或る憐憫《れんみん》さへ感《かん》じてゐる者だが、將棋《せうき》だけは若《わか》い者には勝《か》てないものらしい。老齡《ろうれい》と棋《き》力の衰頽《すいたい》と、これは悲《かな》しい事に如何ともし難《かた》いものだからだ。僕《ぼく》は出でて戰《たゝか》はざる如き棋士《きし》は如何なる棋《き》力ありとも到底《とうてい》尊敬《そんけい》出來ぬが、その意味《いみ》では小菅|翁《おう》の詞《ことば》に同|感《かん》し能《あた》はぬでもない。が、畢竟《ひつけう》それもまた名人上手とかいふ風な古來の形|式《しき》主|義《ぎ》が當|然《ぜん》作り出す型《かた》に捉《とら》はれた觀念《
前へ
次へ
全5ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
南部 修太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング