かぐんそう》は我々《われわれ》を銃器庫裏《ぢうきこうら》の櫻《さくら》の樹蔭《こかげ》に連《つ》れて行《い》つて、「休《やす》めつ‥‥」と、命令《めいれい》した。私《わたし》はまた何《なに》かの小言《こごと》でも聞《き》くのかと思《おも》つて、軍曹《ぐんそう》の鼻《はな》の下《した》にチヨツピリ生《は》えた口髭《くちひげ》を眺《なが》めてゐた。
「何《なん》でえ、何《なん》でえ‥‥」と、小聲《こごゑ》でいぶかる兵士《へいし》もあつた。
高岡軍曹《たかをかぐんそう》は暫《しばら》くみんなの顏《かほ》を見《み》てゐたが、やがて何時《いつ》ものやうに胸《むね》を張《は》つて、上官《じやうくわん》らしい威嚴《いげん》を見《み》せるやうに一聲《ひとこゑ》高《たか》く咳《せき》をした。
「今日《けふ》貴樣達《きさまたち》を此處《ここ》へ集《あつ》めたのは外《ほか》でもない。この間《あひだ》N原《はら》へ行《ゆ》く途中《とちう》に起《おこ》つた一《ひと》つの出來事《できごと》に對《たい》する己《おれ》の所感《しよかん》を話《はな》して聞《き》かせたいのだ。それは其處《そこ》にゐる中根《なかね》二|等卒《とうそつ》のことだ。貴樣達《きさまたち》も知《し》つとる通《とほ》り中根《なかね》はあの行軍《かうぐん》の途中《とちう》過《あやま》つて川《かは》へ落《お》ちた‥‥」と、軍曹《ぐんそう》はジロりと中根《なかね》を見《み》た。「クスつ‥‥」と、誰《だれ》かが同時《どうじ》に吹《ふ》き出《だ》した。中根《なかね》はあわてて無格好《ぶかくかう》な不動《ふどう》の姿勢《しせい》をとつたが、その顏《かほ》には、それが癖《くせ》の間《ま》の拔《ぬ》けたニヤニヤ笑《わら》ひを浮《うか》べてゐた。――またやられるな‥‥と思《おも》つて、私《わたし》は中根《なかね》のうしろ姿《すがた》を見《み》た。
「然《しか》るに、あの川《かは》は決《けつ》して淺《あさ》くはなかつた。流《なが》れも思《おも》ひの外《ほか》早《はや》かつた。次第《しだい》に依《よ》つては命《いのち》を奪《うば》はれんとも限《かぎ》らなかつた。その危急《ききふ》の際《さい》中根《なかね》はどう云《い》ふ事《こと》をしたか。さあ、みんな聞《き》け、此處《ここ》だ‥‥」と、軍曹《ぐんそう》は詞《ことば》を途切《とぎ》つてドタンと、軍隊靴《ぐんたいぐつ》で大地《だいち》を踏《ふ》みつけた。「中根《なかね》はあの時《とき》、自分《じぶん》の身《み》の危急《ききふ》を忘《わす》れて銃《ぢう》を高《たか》く差《さ》し上《あ》げて『銃《ぢう》を取《と》つてくれ‥‥』と、己《おれ》に向《むか》つて云《い》つたのだ。即《すなは》ち銃《ぢう》を愛《あい》し守《まも》る立派《りつぱ》な精神《せいしん》を示《しめ》したのだ‥‥」と、軍曹《ぐんそう》は咳《がい》一|咳《がい》した。
「抑《そもそ》も銃《じう》は歩兵《ほへい》の命《いのち》である。軍人精神《ぐんじんせいしん》の結晶《けつしやう》である。歩兵《ほへい》にとつて銃《じう》程《ほど》大事《だいじ》な物《もの》はない。場合《ばあひ》に依《よ》つてはその體《からだ》よりも大事《だいじ》である。譬《たと》へば戰場《せんぢやう》に於《おい》て我々《われわれ》が負傷《ふしやう》する。負傷《ふしやう》は直《なを》る、然《しか》し、精巧《せいかう》な銃《じう》を毀《こは》したならば、それは直《なを》らない。況《ま》してあの時《とき》中根《なかね》が銃《じう》を離《はな》して顧《かへり》みなかつたならば、銃《じう》は水中《すゐちう》に無《な》くなつたかも知《し》れない。即《すなは》ち歩兵《ほへい》の命《いのち》を失《うしな》つたことになる。然《しか》るに、中根《なかね》は身《み》の危急《ききふ》を忘《わす》れて銃《じう》を離《はな》さず、飽《あ》くまで銃《じう》を守《まも》らうとした。あの行爲《かうゐ》、あの精神《せいしん》は正《まさ》に軍人精神《ぐんじんせいしん》を立派《りつぱ》に發揚《はつやう》したもので、誠《まこと》に軍人《ぐんじん》の鑑《かがみ》である。一|體《たい》中根《なかね》は平素《へいそ》は決《けつ》して成績佳良《せいせきかりやう》の方《はう》ではなかつた。己《おれ》も度度《たびたび》嚴《きび》しい小言《こごと》を云《い》つた。が、人間《にんげん》[#「人間」は底本では「人聞」]の眞面目《しんめんもく》は危急《ききふ》の際《さい》に初《はじ》めて分《わか》る。己《おれ》は中根《なかね》の眞價《しんか》を見誤《みあやま》[#ルビの「みあやま」は底本では「みあや」]つてゐた。實《じつ》に中根《なかね》は歩兵《ほへい》の模範的精神《もはんてきせいしん》を己《おれ》に見《み》せ[#「せ」は底本では欠]てくれた。實《じつ》に‥‥」と、感情的《かんじやうてき》な高岡軍曹《たかをかぐんそう》は躍氣《やつき》となつて中根《なかね》を賞讃《しやうさん》した。そして、興奮《こうふん》した眼《め》に涙《なみだ》を溜《た》めてゐた。「貴樣達《きさまたち》はあの時《とき》の中根《なかね》の行爲《かうゐ》を笑《わら》つたかも知《し》れん。然《しか》し、中根《なかね》は正《まさ》しく軍人《ぐんじん》の、歩兵《ほへい》の本分《ほんぶん》を守《まも》つたものだ。豪sえら》い、豪《えら》い‥‥」
かう云《い》ひ續《つづ》けて、高岡軍曹《たかをかぐんそう》はやがて詞《ことば》を途切《とぎ》つたが、それでもまだ賞《ほ》め足《た》りなかつたのか、モシヤモシヤの髭面《ひげづら》をいきませて、感《かん》に餘《あま》つたやうに中根《なかね》二|等卒《とうそつ》の顏《かほ》を見詰《みつ》めた。分隊《ぶんたい》の兵士達《へいしたち》はすべての事《こと》の意外《いぐわい》さに呆氣《あつけ》に取《と》られて、氣《き》の拔《ぬ》けたやうに立《た》つてゐた。が、日頃《ひごろ》いかつい軍曹《ぐんそう》の眼《め》に感激《かんげき》の涙《なみだ》さへ幽《かす》かに染《にぢ》んでゐるのを見《み》てとると、それに何《なん》とない哀《あは》れつぽさを感《かん》じて次《つぎ》から次《つぎ》へと俯向《うつむ》いてしまつた。
が、中根《なかね》は營庭《えいてい》に輝《かがや》く眞晝《まひる》の太陽《たいやう》を眩《まぶ》しさうに、相變《あひかは》らず平《ひら》べつたい、愚鈍《ぐどん》な顏《かほ》を軍曹《ぐんそう》の方《はう》に差《さ》し向《む》けながらにやにや笑《わら》ひを續《つづ》けてゐた。
底本:「新進傑作小説全集 第十四巻(南部修太郎集・石濱金作集)」平凡社
1930(昭和5)年2月10日発行
初出:「文藝倶樂部」1919(大正8)年12月号
入力:小林徹
校正:松永正敏
2003年12月6日作成
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