空洞《うつろ》を叩《たた》くやうな兵士達《へいしたち》の鈍《にぶ》い靴音《くつおと》が耳《みみ》に著《つ》いた。――歩《ある》いてるんだな‥‥と思《おも》ふと、何時《いつ》の間《ま》にか知《し》らない女《をんな》の笑《わら》ひ顏《がほ》が眼《め》の前《まへ》にはつきり見《み》えたりした。仕舞《しまひ》には、そのどつちがほんとの自分《じぶん》か區別《くべつ》出來《でき》なくなつた。そして、時時《ときどき》我知《わたし》らずぐらぐらとひよろけ出《だ》す自分《じぶん》の體《からだ》をどうすることも出來《でき》なかつた。
 何分《なんぷん》か經《た》つた。突然《とつぜん》一人《ひとり》の兵士《へいし》が私《わたし》の體《からだ》に左《ひだり》から倒《たふ》れかかつた。私《わたし》ははつとして眼《め》を開《ひら》いた。その瞬間《しゆんかん》私《わたし》の左《ひだり》の頬《ほほ》は何《なに》かに厭《い》やと云《い》ふ程《ほど》突《つ》き上《あ》げられた。
「痛《いた》い、誰《だれ》だつ‥‥」と、私《わたし》は體《からだ》を踏《ふ》み應《こた》へながらその兵士《へいし》を突《つ》き飛《と》ばした。と、彼《かれ》は闇《やみ》の中《なか》をひよろけてまた背後《はいご》の兵士《へいし》に突《つ》き當《あた》つた、「氣《き》を附《つ》けろい‥‥」と、その兵士《へいし》が呶鳴《どな》つた。彼《かれ》はやつと我《われ》に返《かへ》つて歩《ある》き出《だ》した。
「中根《なかね》だな、相變《あひかは》らず爲樣《しやう》のない奴《やつ》だ‥‥」と、私《わたし》は銃身《じうしん》で突《つ》き上《あ》げられた左《ひだり》の頬《ほほ》を抑《おさ》へながら、忌々《いまいま》しさに舌打《したう》ちした。
 が、この出來事《できごと》は私《わたし》の眠氣《ねむけ》を瞬間《しゆんかん》に覺《さ》ましてしまつた。闇《やみ》の中《なか》を見透《みすか》すと、人家《じんか》の燈灯《ともしび》はもう見《み》えなくなつてゐた。F町《まち》は夢中《むちう》で通《とほ》り過《す》ぎてしまつたのだつた。そして、變化《へんくわ》のない街道《かいだう》は相變《あいかは》らず小川《をがは》に沿《そ》うて、平《たひら》な田畑《たはた》の間《あひだ》をまつ直《す》ぐに走《はし》つてゐた。霧《きり》は殆《ほとん》ど霽《は》れ上《あが》つ
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