ふん》して、笑《わら》つたり呶鳴《どな》つたり、飛《と》び上《あが》つたりしてはしやいでゐた。大地《だいち》に當《あた》る靴音《くつおと》は生《い》き生《い》きして高《たか》く夜《よる》の空氣《くうき》に反響《はんきやう》した。
「とうとう『馬《うま》さん』やりやあがつた‥‥」と、一人《ひとり》の兵士《へいし》がげらげら笑《わら》ひ出《だ》した。
「選《よ》りに選《よ》つて奴《やつ》が落《お》ちるなんてよつぽど運《うん》が惡《わる》いや‥‥」と、一人《ひとり》はまたそれが自分《じぶん》でなかつた事《こと》を祝福《しゆくふく》するやうに云《い》つた。
「また髭《ひげ》にうんと絞《しぼ》られるぜ‥‥」
「可哀想《かはいさう》になあ‥‥」
中根熊吉《なかねくまきち》の「馬《うま》さん」は二|年兵《ねんへい》の二|等卒《とうそつ》で、中隊《ちうたい》でもノロマとお人好《ひとよ》しとで有名《いうめい》だつた。教練《けうれん》の度毎《たびごと》にヘマをやつて小隊長《せうたいちやう》や分隊長《ぶんたいちやう》に小言《こごと》を云《い》はれ續《つづ》けだつた。戰友達《せんいうたち》にもすつかり馬鹿《ばか》にされてゐた。鼻《はな》が低《ひく》くて眼《め》が細《ほそ》くて、何處《どこ》か間《ま》の拔《ぬ》けた感《かん》じのする平《ひら》べつたい顏《かほ》――その顏《かほ》が長《なが》いので「馬《うま》さん」と言《い》ふ綽名《あだな》がついた。が、中根《なかね》は都會生《とくわいうま》れの兵士達《へいしたち》のやうにズルではなかつた。決《けつ》して不眞面目《ふまじめ》ではなかつた。彼《かれ》は實際《じつさい》まつ正直《しやうぢき》に「天子樣《てんしさま》に御奉公《ごほうこう》する」積《つも》りで軍務《ぐんむ》を勉強《べんきやう》してゐたのである。が、彼《かれ》の生《うま》れつきはどうする事《こと》も出來《でき》なかつた。で、彼《かれ》はムキになればなるだけ教練《けうれん》や武術《ぶじゆつ》に失敗《しつぱい》し、上官達《じやうくわんたち》に叱《しか》りつけられ、戰友達《せんいうたち》にはなぶり物《もの》にされるのだつた。――氣《き》の毒《どく》だな‥‥と、思《おも》ふことが私《わたし》も度々《たび/\》あつた。
「然《しか》し、僕《ぼく》もずゐ分《ぶん》氣《き》を附《つ》けちやあゐたんだ
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