阿片の味
南部修太郎

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)黄苞車《ワンパオツオオ》で

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)春本だとか、[#「、」は底本では「。」]春藥だとか、
−−

 秦の始皇が不老の藥を求めた話はもうあまりに人口に膾炙してゐるが、この不老とは單に長生きをすると云ふ意味でなしに、老いてなほ色欲の享樂に堪へ得る旺盛な體力を求めるのが根本である事は云ふまでもあるまい。とにかくその色欲の享樂と云ふ點で古來支那人ほど工夫を凝らし頭をひねつた物はないらしい。是は一つはさう云ふ享樂に向く國情のせゐもあらう。一つは體力のせゐもあらう。一つは何にでも徹底的な性情のせゐもあらう。見方によれば支那人は色欲と賭博のために生きてゐると云つても差し支へない。自然都市の到る處に色欲の享樂機關の豐富なのは驚くほどだが、それに伴ふ催欲的な存在物、つまり春本だとか、[#「、」は底本では「。」]春藥だとか、催欲目的の酒だとかが非常に多い。そして、世界的な珍味佳肴と云はれる支那料理の如きも、その調理法には催欲のためと云ふ事が念頭に置かれてゐるらしい。
 東京や横濱、神戸、大阪などで、私は度々支那料理を食つてみた。そして、そこには純粹の北京料理だとか廣東料理だとか銘打つたのもあつたが、水のせゐか、氣候のせゐか、すべてがどうも多少の日本化を免れてゐない。氣のせゐも恐らくあらうが、本場のとはどこか違つた感じがする。[#「。」は底本ではなし]それに甚だをかしい告白だが本場の北京、天津、上海、杭州、乃至は奉天などで支那料理を食つたその晩やその翌日なりは、私は、いつもとなく色欲の興奮を感じさせられた。[#「。」は底本ではなし]或は本場のには日本では使へないやうな何か特別な材料でも使つてあるのかも知れないが、これは日本で支那料理を食つた場合にはそれほどはつきり意識的には來ない。實際北京の正陽樓や小有天あたりで正式な支那料理を食ふなどは、君子人にとつてはちつと險呑な事だと云へぬでもない。[#「。」は底本ではなし]
 處で、阿片なども支那へ行つて通な人から實際の説明を聞くまでは、普通の煙草と同じやうに吸飮そのことに深い享樂があるのだと想像してゐたが、これも初めの内や極端な中
次へ
全4ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
南部 修太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング