エ》「アポロ」で互に別れを惜む氣持もあつて酒の醉を買ひながら、四時間あまりを過したのであつた。
「おい近藤君、どうしたんだ?――厭やに默りこんでしまつたぢやないか……」と、一町あまりも歩いたあと、水島君は不意に私を振り返りながら詞をかけた。
「いや、別にどうもしやしないさ……」私は漠然と答へ返した。が、醉にぐらぐらするやうな頭の中には酒塲で受けた色色な印象が、憂欝な氣持の尾を引きながら次から次へと繰り返されてゐるのであつた。
「然しね、酒塲にゐるああ云つた女の行末は、一體どうなるんだらう?」
「さあ、どうなるかな? この頃、僕はもうそんな事考へてみようともしなくなつたが、たまに一人ぐらゐが奇蹟的な幸福な餘生にはいれたにした處で、多數は悲慘な末路を遂げるんだと思ふよ。」
「さうかな。――だが、ハルピンて全く堪らない感じのする町だね。人間がまるで踏みくちやにされてしまつてる……」
「うむ、踏みくちやにされてしまつてるは好いね。――實際、こんな處で人間を人間らしく思はうとしたり、人生を眞面目に考へようとした日にやあ、氣違ひになるより外仕方がないよ。」
「はつはつは……」
「はつはつは……」
互に振り返つて、水島君と私とは強ひられたやうな笑ひ聲を洩らし合つた。
「然し、考へてみると、すべてが馬鹿馬鹿しいよ。――より善き、より幸福な人生を建設しようとしてソヴイエツト政府が成立する。が、その革命の背後には幾千、幾萬の犧牲者があんな風にして苦しんでゐる。少くとも、彼等にとつて人生は決してより善くも、より幸福にもなつてゐやあしないんだからね。僕は革命なんてほんとに厭やだと思ふ……」
「だが、革命者の立場から云へば……」と、私は詞を挾みかけた。
「待ち給へ。――あんな犧牲は當然だと云ふんだらう……」と、水島君は強く私を遮つた。
「さうだ……」
「だから、僕は革命なんか厭やだと思ふんだよ。――一體、君はさう云ふ革命者の心持を肯定出來るのかね?」
「いや、別に肯定してゐる譯ぢやない。」
「無論、さうだらう。――それに……」と、水島君の聲は急に高くなつて來た。「根本的に云へば、革命なんかを幾度繰り返してみたつて、少數の革命者が自我《エゴ》の滿足をかひ得るだけで、人間全體は決してより善くも、より幸福にもなり得ないと僕は思ふね。――更に云ひ直せば、人間がどんなにあがいてみたつて、結局人生には永久にユウトピヤは來ないと云ふ事になるんだ。」
「然し、結局さうだとは考へられても、僕は其處まで人生に絶望してしまひたくはないよ。――人間にそのユウトピヤへの夢がなかつたら、云ひ換へれば、自分達の生活をより善く、より幸福にしようとする感激がなくなつたら……」
「そりや寂しい。或は死ぬより外はあるまい……」と、水島君は吐き出すやうに云つた。「だがね、君の云ふその夢や感激つて云ふのは何だらう? 人間を胡麻化す或る操《あやつ》りの糸に過ぎないんぢやないかね……」
私はそれには何故か答へる事が出來なかつた。水島君は直ぐに云ひ重ねた。
「でも、そんな操りの糸にでも操られ得る人はまだ幸福だよ。――夢も感激も喪つてゐながら、而も人間は容易に死ねやしない。そして、その矛盾や、寂しさを胡麻化しながら生き續けてゐる。あの酒塲《カバレエ》の女達だつて、またその女達を亨樂の對象にしてゐる男達だつて、要するに、さうした人間の仲間に過ぎないと僕は思ふよ。」
水島君はふつと深く溜息づいて、そのまま口を噤んだ。私も何か知ら不意に索漠たる氣持を胸に感じながら、そのまま口を噤んだ。そして、二人はただ白い息を吐きながら、石のやうに凍りついた地面に四つの靴音を響かせながら、默默と歩いて行つた。何時となく酒の醉はさめかけて來た。ひしひしと迫つてくる夜寒さに、私はこごえるやうな足先の痛みを意識した。
K街とP街との交叉點で、明日の再會を約しながら水島君と別れた時、町角の高い時計塔の針は丁度二時を指してゐた。其處から私の泊つてゐるMホテルまではまだ七八町の道程だつたが、送らうといふ水島君の詞を強ひて斷つて、薄暗い並木の蔭を私は一人俯向き勝ちに歩き始めた。
「然し、水島君も變つたなあ。――何と云ふ變り方なんだらう?」と、私はふと心の中に呟いた。
若若しい人生の夢想家で、感激的なロマンテイシストで、而も、臆病と云ひたい程の道徳家だつた過去の水島君を思ふと、私は三年近くのハルピンの生活が同君の性格に與へた影響の深さを考へないではゐられなかつた。が、またそれ程に同君の心を荒ませ、生活を散文化させ、性格を暗い否定主義《ベツシミズム》に誘つた町の空氣を思ふと、一週間の滯在の間に受けた色色な印象、見聞のすべてが一層切實なものに感じられた。他愛なく笑ひさざめく男達の前で裸踊する痩せこけた女の顏、血烟立ててコロツと前に轉
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