こう》とも言うべきもの。それがドイツ語にもフランス語にも訳されて広く欧米人に、出版後半世紀ならんとする今も、かなり広く読まれるのもけだしこのためにほかならぬ。
 そうした本邦人の著作を、外国の文字でつづられてあるというゆえをもって、自国の者がその存在をさえ知らずにいることを遺憾に思って、洋々塾《ようようじゅく》の村岡博《むらおかひろし》氏が、原文の一字一句をもゆるがせにすることなく多大の労苦を物ともせずに、章一章こくめいに日本語に写して塾の雑誌『亡羊《ぼうよう》』に、昭和の二年(一九二七)四月の創刊号から前後十号にわたって掲載し、翻訳者としての最善を尽くし、昨年八月ついに業をおえられたのであるが、同人雑誌の狭い読者だけにその恵みをわかつべきでないことはその読者たちの数々の声からも明らかである。それで兄の嗣子|一雄《かずお》氏とも相談してこれを岩波文庫に収めることにした。もっとも広い読者の鑑賞にこれをささげたいからである。ただしこの種の読み物は、内容にいっそうふさわしい装帳《そうてい》で少数の好事《こうず》の人にのみ示すべきもの、と考える人々も少なくない。岩波書店主もまたあるいはその一人
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