ころ、一六《いちろく》か三八《さんぱち》か日取りは記憶せぬが月に数回、師を聘《へい》して正式に茶の湯の道を学んだのが始めで、教えに見えたのは正阿弥《しょうあみ》という幕末の有名な茶人と記憶する。稽古《けいこ》のたびごとに、うら若かった嫂《あによめ》といっしょに、いたずら盛りの小伜《こせがれ》かく申す自分も、ちょこなんとお相伴《しょうばん》して、窮屈な茶室にしびれを切らせながら、結構な御ふくあいなどと、こまっちゃくれた挨拶《あいさつ》を無意識に口にしたものであった。
 兄はその後もこの道の修業を積むおりがおりおりはあったであろうが、嫂《あによめ》の師事した石塚《いしづか》宗匠からの間接の教えも、大いに悟入に資したことと思う。また茶に関する書物の渉猟も、禅学のそれと並んで、年とともに進んだに違いない。そういう方面の多くの書きものの中で、まず大いに兄を芸術鑑賞の立場からも動かしたろうと思われるのは、なんと言っても陸羽《りくう》の『茶経《ちゃきょう》』であったろうと自分は想像する。あの天狗《てんぐ》の落とし子のような彼のおいたちがすでに仙人《せんにん》らしい飄逸味《ひょういつみ》に富んでいるが
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