さては赤倉《あかくら》のいで湯のことを、いかになつかしく思い浮かべたことであろう。
 一つにはそうしたやるせないさびしさの心やらいもあって、故郷の昔の恋しさのあまり、茶事の物語にことよせて大和心《やまとごころ》のやさしい動きをイギリス文字に写し試みたのが、察するに、親友ジョン・ラファージ画伯に奉献のこの『茶の本』(明治三十九年五月にニューヨークのフォックス・ダフィールド社出版の一巻一六〇ページ)であったのだと思われる。
 この書は訳文からも知られるとおり、茶の会に関する種々の閑談やら感想やらを媒介として人道を語り老荘《ろうそう》と禅那《ぜんな》とを説き、ひいては芸術の鑑賞にも及んだもので、バターの国土の民をして、紅茶の煙のかなたに風炉釜《ふろがま》の煮えの別天地のあることを、一通り合点《がてん》行かせる書物としては、おそらくこれを極致とすべきかと、あえて自分は考えるが、さてその章句の中に宿された茶事に関する理解を、兄はどこから得たものかと思いいぶかる読者もあろう。兄のその方面の心得は、明治の十三年に大学(一八八〇)をおえて後、まだ自分たちと同じく蠣殻町《かきがらちょう》の父の家に住居の
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