壁の眼の怪
江見水蔭

−−
【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)寛政《かんせい》五年

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)典薬|勝成裕《かつせいゆう》が、
−−

       一

 寛政《かんせい》五年六月中旬の事であった。羽州《うしゅう》米沢《よねざわ》の典薬|勝成裕《かつせいゆう》が、御隠居|上杉鷹山《うえすぎようざん》侯(治憲《はるのり》)の内意を受けて、一行十五人、深山幽谷に薬草を採りに分け入るという、その時代としては珍らしい計画が立てられた。
 その最終の目的地点は東北の秘境、本朝の桃源にも比べられている三面谷《みおもてだに》であった。
 三面谷は越後の村上《むらかみ》領では有るのだけれど、又米沢からの支配をも受けているので、内藤《ないとう》家からも飯米を与えるが、上杉家からも毎年二十俵を、雪が積って初めて道が出来るのを待って、人の背を以て送られていた。そういう関係で、三面村の現状を能《よ》く調査して来いという、秘密命令も有ったのだ。
「ぜひ御一行に御加え下されえ。いかようなる任務でも致しましょうで」
 かく申込んだのは、この頃米沢に漫遊中の江戸の画師《えし》、狩野《かのう》の流れは汲めども又別に一家を成そうと焦っている、立花直芳《たちばななおよし》という若者であった。
「三面の仙境には、江戸にいる頃から憧憬《あこが》れておりました。そこをぜひ画道修業の為に、視《み》ておきとう御座りまする」
「それは御熱心な事で御座る。幸い当方に於いても、三面の奇景は申すに及ばず、異なりたる風俗なんど、絵に書き取りて、わが君初め、御隠居様にも御目に掛けたいと存じたる折柄。では御同行|仕《つかまつ》ろう」
 米沢の城下から北の方《かた》二十里にして小国《おぐに》という町がある。ここは代官並に手代在番の処である。それからまた北に三里、入折戸《いりおりど》という戸数僅かに七軒の離れ村がある。ここに番所が設けられて、それから先へは普通の人の出入を許さないのであった。
 入折戸に着くまでが既に好《い》い加減の難所であった。それから蕨峠《わらびとうげ》を越していよいよの三里は、雪が降れば路が出来るけれど、夏草が繁ってはとても行来《ゆきき》は出来ぬのであった。
 勝成裕及び立花直芳の一行十五人は、入折戸を未明に出立して、路なき処を滅茶滅茶に進ん
次へ
全9ページ中1ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
江見 水蔭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング