で行った。谷川を徒歩《かち》わたりし、岩山をよじ登り、絶壁を命綱に縋《すが》って下り、行手の草木を伐開《きりひら》きなどして、その難行苦行と云ったら、一通りではないのであった。
勝|国手《こくしゅ》と立花画師との他は、皆人足で、食糧を持つ他には、道開き或いは熊|避《よ》けの為に、手斧《ておの》、鋸《のこぎり》、鎌《かま》などを持っているのであった。
三里という呼声《よびごえ》も、どうやら余計に踏んで来たように覚えた頃、一行は断崖下に大河の横たわるのに行詰った。
「三面川の上流に御座りまする。もう向岸が三面で御座りまする」
人夫の中の一人が云った。
「どこか、渡り好い処を選ぶように」
勝国手の命令で、人々手分けをして渡り口を求めに散った。この間に直芳も手帳矢立を取出して、写生すべく川端を少しく下手の方へと行ったのであった。
「あッ」
いくらか断崖の低くなっている処。下の深淵へ覗《のぞ》く様にして出張っている大蝦蟇形《おおがまがた》の岩があった。それに乗って直芳が下を見た時に、思わず知らず口走ったのであった。それは緑の水中に、消え残る雪の塊とも擬《まが》うべき浴泉の婦人を見出したからであった。丈にも余る黒髪を、今洗い終ったところらしかった。それからまた離れた川中に、子供の群が泳ぎ戯れてもいた。
首から下を緑青の水に浸している若き婦人。それが絵になるとかならぬとか、そうした考えも何もなかった。いきなり直芳は矢立の筆の先を墨壺に突込まずにはいられなかった。
もう少しで書き終ろうとした時に、ふいと婦人は上を見た。岩が覗くその又上から人が覗いているのを認めて、この上もない驚き方をして、水鳥が慌だしく立つ様に、水煙を立て逃げ出した。
直芳は悪い事をしたと悔いた。そうして声高く、
「胡散《うさん》の者では御座らぬ。三面村へ参る者。米沢藩の御典医の一行が、薬草採りに参ったのじゃ」
そう呼んだけれど、婦人は振向いても見なかった。濡れた腰巻のまま、岸に置いた衣類を引抱えて後をも見ずに走り出した。子供達も皆同じように逃げ出して、忽《たちま》ち人の影は見えなくなった。
直芳は茫然《ぼうぜん》としてそこにいた。幻影が無惨にも破れたのであった。
二
その間《ま》に川向うには三面の里人が、異様な風俗で多数現われた。不意に異人種が襲来して来たように、敵意を含ん
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