。お前が又出世せずとも宜しい。元の通りに拙尼と、人知れず……」
「まァまァ智栄殿。ここが大事のところじゃ。どうか拙者を出世さして下さりませ。今のはホンの出来心」
「その出来心が気に入らぬ」
「いや、もう決して再び、他の女に」
こうして縺《もつ》れ合っているところへ、立聞きのお幸が注進したので、奥二階から駈け着けて来た医師の奥野俊良。
「まァまァ智栄殿。まァ腹も立とうが、ここが一番大事のところ。何事も御かんべん御かんべん。とにかく先ず奥二階へ」
猛《たけ》り立った智栄尼を俊良は奥二階へ連れて行き、左内と共に哀訴嘆願。男子が二人揃って何度お辞儀をしたか拝んだか分らなかった。
つまりこの尼と金三郎とは深い関係であった。それを説いて今度の運動費を出させて、それで三人が備前岡山に乗込んだのであった。
結局どうやらこうやら、納まらぬなりに納まって、智栄尼は一先ず表二階の部屋へと帰ったが、夜更けてから又離れ座敷へ、忘れ物を取りになど拵《こしら》えて、金三郎が一人か否か、それを見廻りにと出掛けもした。尼の嫉妬《やきもち》はその時代として前代未聞、宿の者もまた興を覚《さま》していた。
明くる日
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