願いでござりまする」
 その声は悲痛|凄愴《せいそう》を極めたのであった。案内の男は忽ち逃げ出した。昼間幽霊が出たと思ったのか。純之進は心着いて背後を振かえって見た。五十歩ばかり隔てた草むらの中から、腰から上を現わした一人の男。毎日見えつ隠れつあたかも影の如く従うて来ていた土気色の若者であった。
「その方、何者かッ」と純之進が声を掛けた時に、謎の人は手を合せて拝む真似して、そのまま姿は見えなくなった。

 鸚鵡石の怪におどろき、急いで純之進は帰路についたが、気にかかるので廻り路《みち》して、山番小屋の荒地に行って見ると、ここで村の者が大勢顔色を変えて、大騒ぎしていた。
 何事かと側に寄って見ると、野猪《いのしし》が出て畑を荒らしたついでに、荒地まで掘散らして行ったので、そこから女の死骸が出掛かっているというのであった。純之進は胸を轟《とどろ》かして、それを覗《のぞ》き見て。
「あッ」と叫ばずにはいられなかった。それは毎夜つづけて夢に見た高島田の娘。それが正しく襟付黄八丈の衣物を着て、黒襦子と紫縮緬の腹合せ帯を締めたまま、後手に縛られて、生埋めにされて死んでいるのであった。

 巡検使の職権で純之進が大吟味を試みた結果、奇怪なる犯罪が暴露した。それは、七化役者尾上小紋三が、丹那の山里で大評判で、村中の女がことごとく恋をした。その中で勝利を得たのが椎茸畑《しいたけばたけ》の番人|政十郎《まさじゅうろう》の娘お露《つゆ》であった。
 お霧は最近まで、御青物《おんあおもの》御用所《ごようどころ》神田《かんだ》竪大工町《たてだいくちょう》の御納屋《おなや》に奉公に出ていて、江戸|馴《な》れている上に、丹那小町と呼ばれた美人なので、村の若者が競って恋を寄せたのであったが、ことごとく斥けて、そうして七化役者と親しんだのであった。
 二人は手に手を取って道行をしたという事になっていたのだが、それでは何者にか殺されたのであろう。恐らく相手の小紋三が下手人であろうという村方のいい立てが皆一致した。
 純之進はそうは思わなかったが、別に証拠が上らぬので、詮議は打切にした。その為に出立が一日遅れたのであった。
 帰り路は山越しに熱海《あたみ》に出た。坂口屋弥兵衛《さかぐちややへえ》方に一泊した。ここでまた驚くべき事実を発見した。ここに謎の人が泊り合せて虫の息でいるのであった。それは七化の小
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