ず、秋岡陣風斎は浪宅に貧窮の生活をつづけていて、弟子と云っては実に自分一人だ。其処が併し偉い点だ。わざと然《そ》うした運命に身を潜めたのかも知れないのだが、何んにしても其恩には、充分報じなければ成らないのだ。
途中でお鉄の為に抑留されて、神前霊剣の修業を中止していた罪。それは何処までも詫びて掛ろう。然うして砲術稽古の為外国行きの事をも相談しよう。だが、夢見の通り重態で有っては成らぬと、何につけても道を急ぐので有った。
布川《ふかわ》から布佐《ふっさ》へ、それから中峠《なかびょう》から我孫子《あびこ》へ出て行く竜次郎の見込みで有ったので、市崎から、椎塚下《しいづかした》、畑や田の間の抜路々々と急いだので有った。もう文間台《もんまだい》の立木の森が、近くに見える頃、気が着くと、自分の後から、一人の娘が附いて来るので有った。
それは決して普通《ただ》の農家の娘とは見えなかった。髪は文金高島田に結って間もなく、一筋の乱《ほつ》れ毛も無いので有った。
お白粉から口紅、行き届いた厚化粧。それで無くても慄《ふる》いつく程の美しさ。江戸にも珍らしい別嬪《べっぴん》で有った。
それが又|如何《
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