女とで、縺《もつれ》れるように巫山戯《ふざけ》ながら、船を呼ぼうとしやあがるな。誰が狗鼠《くそ》、遣るもんか」
 五十間も隔たる向河岸ながら、手に取るように其|独言《つぶやき》が響くと間もなく、手桶を置いて片手ながら、反対に舳《みよし》の縄をぐっと引いた。
 二人掛りのが忽《たちま》ち、片手に敗けて、出掛った船は、逆戻りをした。
「あっ、和尚さん、お頼みだ。病人見舞に一足を争う処。臨終に間に合うか合わぬか、二人に取っては大事の処故、船は此方《こちら》へ願いまする」と竜次郎は声高に嘆願した。
「駄目だっ、畜生」
 片手ながら力一杯。悪僧がぐっと引いた。二人も一生懸命力の限り引いた。少時《しばらく》綱引きの力競べになった。空船は途中で迷っていたが、坊主がうんと頑張る途端に、艫《とも》の縄がぷつりと切れて、二人掛りの方が敗けた。船は全く坊主の手で向河岸に引付けられた。もう空船を此方へ引寄せようは無く成ったのだ。
「醜態《ざま》あ見やあがれ。さあ大廻りしろ。此近くに渡しはねえのだ。俺はこれで溜飲が下ったぞ。これですっかり好い気持だ。どれどれ最《も》少し鰻を掻き上げねえと、酒代が出て来ねえや」
 悪僧は再び手桶を提げて、蘆の間に忽然《こつぜん》と姿を隠した。何んという無慈悲な坊主だろう。人を助ける出家の身が、鰻掻きをして殺生戒を破るさえ無茶苦茶なのに、彼岸に達する救世《ぐせい》の船。それを取上げて了《しま》ったので有った。一体何寺の何んという坊主だろう。憎さも憎しと竜次郎は、歯軋《はぎし》りをして口惜しがった。併し新利根川の堀割を隔てているのて、如何《どう》する事も出来なかった。
「此上は他の渡しのある処まで廻り路でも行くの他は無い。ちぇっ、憎っくき坊主|奴《め》」と憤慨した。
「旦那様、御心配なさいますな。私が船を取って参ります。向河岸まで行くのは、何んの仔細は御座いません」と事も無気《なげ》に小虎が云った。
「えっ、船を取りに向河岸へ行く」
「私は女軽業師、幸い斯うして、彼方《あちら》から此方《こちら》へ、藤蔓が引渡して御座いますから、それを伝って行けば何んでも無い事で御座います」
「成程なあ」
 普通の者には出来ぬ芸だが、女軽業師の小虎としては、何んの造作も無いので有った。一座を脱出する時に、変り易い秋の空を気遣って、手当り次第に雨傘を持出したのが、図らず此所で役に立っ
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