郎に、米利堅《メリケン》へでも、和蘭陀《オランダ》へでも渡航して頂きたい位に考えて居りますのです。失礼ながら金は祖父の代から溜め込んで有るんですからね。二千や三千の金なら、何時でも耳が揃えられるんです」
「外国渡航に就ては、国禁も有り、吉田松陰《よしだしょういん》の失敗もあり、併し追々は渡行出来ようで、是非一度は外国に渡り、見聞を弘くし、又砲術なども授って参りたいで、是非姉御の力を借らねば成らぬ故、必ず此方《こちら》へ戻って来る」
「それに最《も》一つ私は念を押して置きますよ。久々で江戸へ帰ったとて、女という女は、どんな女とでも、仲好くすると承知しませんよ」
猛烈な嫉妬心を、其肥満の体躯《からだ》全部に貯えているのが生縄のお鉄で有った。
四
旅装束何から何まで行き届かして、機嫌|克《よ》くお鉄は送り出して呉れた。
鉄無地の道行《みちゆき》半合羽《はんがっぱ》、青羅紗《あおらしゃ》の柄袋《つかぶくろ》、浅黄《あさぎ》甲斐絹《かいき》の手甲脚半《てっこうきゃはん》、霰小紋《あられこもん》の初袷《はつあわせ》を裾短かに着て、袴は穿かず、鉄扇を手に持つばかり。斯うすると竜次郎の男振りは、一入《ひとしお》目立って光るのであった。
「途中でも女と道連れになんか成らないようにして下さいよ。よござんすか。私の乾漢《こぶん》は何処にでもいますからね。ちゃんと見ていますよ」
「大丈夫だ。今は唯師の身の上を思うばかり……それに次いでは御身の事を」
竜次郎はそう喜ばせて置いて、いよいよ前途を急ぎ出した。福田の台地を越して市崎《いちざき》へ出たのは、ほんの一息で有った。
自由の身と成りながらも未だ強力な或物に後髪を引かれるように思われて成らなかった。お鉄の勢力の絶倫な為に、如何に今まで圧迫されていたか分るので有った。
釣られた魚の魚畚《びく》を出て、再び大河に泳ぐような気が、次第次第に加わって来た。今度は江戸の方へ引附けられて行くので有った。
「少しも早く師の許へ」
師の陣風斎という人は、実際|轗軻《かんか》不遇の士。考えれば考える程気の毒で成らなかった。斎藤弥九郎《さいとうやくろう》、千葉周作《ちばしゅうさく》、桃井春蔵《ももいしゅんぞう》、それ等の剣道師範に比べて、敢て腕前は劣らぬのだ。けれど他が何千という弟子を取り、幕府或は諸侯から後援せられているに関ら
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