ず、秋岡陣風斎は浪宅に貧窮の生活をつづけていて、弟子と云っては実に自分一人だ。其処が併し偉い点だ。わざと然《そ》うした運命に身を潜めたのかも知れないのだが、何んにしても其恩には、充分報じなければ成らないのだ。
 途中でお鉄の為に抑留されて、神前霊剣の修業を中止していた罪。それは何処までも詫びて掛ろう。然うして砲術稽古の為外国行きの事をも相談しよう。だが、夢見の通り重態で有っては成らぬと、何につけても道を急ぐので有った。
 布川《ふかわ》から布佐《ふっさ》へ、それから中峠《なかびょう》から我孫子《あびこ》へ出て行く竜次郎の見込みで有ったので、市崎から、椎塚下《しいづかした》、畑や田の間の抜路々々と急いだので有った。もう文間台《もんまだい》の立木の森が、近くに見える頃、気が着くと、自分の後から、一人の娘が附いて来るので有った。
 それは決して普通《ただ》の農家の娘とは見えなかった。髪は文金高島田に結って間もなく、一筋の乱《ほつ》れ毛も無いので有った。
 お白粉から口紅、行き届いた厚化粧。それで無くても慄《ふる》いつく程の美しさ。江戸にも珍らしい別嬪《べっぴん》で有った。
 それが又|如何《どう》したのか。垢染《あかじ》み過ぎた蝶散らしの染浴衣。白地の多いだけに秋も初めとは云いながら、冷や冷やと見すぼらしく。帯も細く皺だらけで、貧弱さと云ったら無いので有った。頭髪《かみ》の結び方と顔の化粧振りとに対して、余りに扮装《なり》が粗末なので、全く調和が取れなかった。これでは誰の眼にも謎《なぞ》で有ろう。
 未だ其上に可怪《おか》しいのは、此上天気に紺蛇の目の雨傘を持っていた。其癖素足に藁草履を穿いて、ピタピタと路を踏むので有った。
 女化ケ原《おなばけはら》の狐が娘に化けて、たぶらかしに附いて来るのか。昼間化ける位だから、余程|官禄《かんろく》の有る狐だろうとも、戯れに考えたい位で有った。
 急げば急ぎ、休めば休んだ。まるで影のように附いて来るので有った。振向いた時にはにっこり向うから笑うのであった。竜次郎は気味を悪くも覚え出した。
「御武家様は、江戸へ入《い》らっしゃいますのでしょう」
 稲田の畦中、流れ灌頂《かんじょう》の有る辺で、後から到頭声を掛けた。
「左様」とのみ竜次郎は答えて、後を何んとも云わなかった。
「私も江戸へ参ります」と問わず語りを娘がした。
「左様か」とや
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