じゅばん》の薄い上から、爪痕立て、たとえ肌を傷《きずつ》けようと好い程に」
 高田殿は狂気の如く身を悶悩させるのであった。
 今! 今! 今を除いていつの日ぞ。父や母や兄の仇、松平家を代表した一人《いちにん》に、怨恨《うらみ》の鎌の刃とは、思えども、初めて接した貴人の背後、物怯《ものおじ》してブルブル戦慄《せんりつ》して、手の出しようがないのであった。
 熊も熊、荒熊の如き武者修業の背後から、何の躊躇《ちゅうちょ》もなく鎌の刃を引掛けたが、尊き女※[#「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1−91−26]《じょろう》の切下げ髪、紫の打紐《うちひも》にキリキリと巻いたるにさえ、焚籠《たきこ》めてある蘭麝待《らんじゃたい》の名香。ついそれを鼻の先に嗅ぐからに、反対にこちらが眠り薬に掛ったかの様、滝之助は恍惚《こうこつ》として、つい鎌を取落した。
「怪しき女!」
 高田殿は振向いた。初めて見たその顔!
「あッ」
 昼間三度も見た若衆の顔!
 守刀《まもりがたな》を早速に取って袋のままに丁と打った。
「覚悟ッ」
 滝之助は本気に復《かえ》って鎌を取上げて身構えた。この時既に高田殿は、守刀を抜放
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