再興は望まなかった。真田幸村の弔い合戦、それが主でもあったけれど、第一には徳川の天下が余りに横暴に過ぎるので、それが癪《しゃく》に触ってならぬのであった。
 その徳川幕府を倒壊させるには、浪士を集めて兵力で争うという、そうした武的手段を取るとするには、余りに自分が貧弱であるという事を、さすがに能く知っているのであった。
「煎じつめれば金じゃ。金の力で徳川の天下を滅茶滅茶に掻き乱してやりたい。自分で天下を取ろうとは毛頭考えぬ」
 黒姫|山下《さんか》から金塊を取出したら、それを運用して破天荒の奇策を弄《ろう》し、戦わずして徳川一門を滅亡させる考えで有ったのが、その黄金の一部分の有個所《ありかしょ》が漸く知れた時には、最早や余りに老過ぎて、その健康は衰え切っていた。それで滝之助に向って、単に高田の松平家というような、一枝葉に拘泥《かかわら》らず[#「拘泥《かかわら》らず」はママ]して、大徳川一門に向って怨恨《うらみ》を晴らせ。自分の志を受継いで、今の天下を掻き乱してくれという、そういう希望を述べたのであった。
 滝之助は一も二もなく承知した。
「必らず先生のお志を継ぎ、蔭で機密に仕事をして、徳川家を呪いましょう」
「おう、それで拙老も安心じゃ」
 朝露夕電《ちょうろせきでん》、人の命は一刻の後が分らぬ故、今夜のうちに何もかも教えようとなった。
「霧隠れ雲隠れ、と申しても、つまりは火遁《かとん》の術、煙遁の術、薬品にて煙を急造し、目潰しを大袈裟《おおげさ》にするまでじゃ。その薬法は予《かね》て記して置いたが、それよりも、眠り薬を巧みに用いれば、宿直《とのい》の者も熟睡《うまい》して、その前を大手を振って通っても見出されぬ。つまり姿を消したも同然じゃ。その製法、矢張、記してある」
 笑い薬、泣き薬、長命不死の薬、中には遊戯に過ぎたる薬まで、残らず記した秘本をくれた。
 それから、印籠の二重底から取出した切図三葉をも譲られた。いずれも雁皮《がんぴ》の薄紙に細かく書いて有るのであった。
「や、や、あの山神《さんじん》の祠《ほこら》の台座、後面の石垣のまん中の丸石を抜き取ると、その下が抜穴、そこに佐渡の金箱が隠して有るので御座りまするか」
「おう、その通りじゃ、あそことは実は気が着かなんだよ」
「早速、今夜にも参りまして」
「おう、取出して多年苦心の拙老に早く安堵をさしてくれ」
「かしこまって御座りまする」
 滝之助は闇の山路を却《かえ》って幸いに、ただ一人にて探しに行った。
 果して山神の石祠の下に、抜穴が深く通じていた。その突当りの処に、部厚の槻《けやき》の箱が三箇隠して有った。十二貫目の一箱をとても滝之助に持てそうが無かったので、その三分の一だけを、それすらも漸く持ち帰った。それはもう夜明近かった。
 これを見て、狂するばかりに喜んだ洞斎老人、余りの嬉しさに胸が躍って急にガックリ打倒れた。それは正しく中気が出たのだ。
「御心確かにお持ちなされませ」
「おー」
 舌が縺《もつ》れて思う事を口に出しては云えなかった。併《しか》しそのふるえる片手や、うっとりした目つきからで、黄金残らず取出すまでは、滅多に死なぬという表現をした。
 滝之助は苦心に苦心を重ねて、幾回にも残りの黄金を持運んだ。それには二日二夜掛ったのであった。
 ガッカリしたのは滝之助ばかりでは無かった。洞斎老人も安心して、それからは昏々《こんこん》として眠るばかり。遂にその翌日、帰らぬ旅へと立ったのであった。
 滝之助はこの結果、思いも懸けぬ大金持の一人となったのであった。

       六

 世に越前家《えちぜんけ》と云うは徳川家康の第二子|結城《ゆうき》宰相|秀康《ひでやす》。その七十五万石の相続者|三河守忠直《みかわのかみただなお》は、乱心と有って豊後《ぶんご》に遷《うつ》され、配所に於て悲惨なる死を遂げた。一子|仙千代《せんちよ》、二十五万石に減封されて越前福井より越後高田に移され、越後守|光長《みつなが》とは名乗ったものの、もとより幼少。その母こそは二代将軍秀忠の第三女、世にいう高田殿《たかだどの》(俗説|吉田御殿《よしだごてん》の主人公)。
 当分は江戸屋敷に在るべしとの将軍家の内命に従い、母子共に行列|厳《いかめ》しく、北国街道を参勤とはなった。
 高田殿は女子《おなご》の今を盛りであった。福井の城に在る頃は、忠直卿乱行の為に、一方ならず心を痛められたが、既にそれは一段落|着《つ》いたのであった。面窶《おもやつ》れも今は治って、血の気も良く水々しかった。
 雪深き越路《こしじ》を出て、久々にて花の大江戸にと入るのであった。父君《ちちぎみ》二代将軍に謁見すれば、家の事に就ても新たなる恩命、慶賀すべき沙汰が無いとも限るまい、愛児の為に悪《あ》しゅうは有るまいと、
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