しゅうない。ここへ来て、毒虫に螫された後の、手当をしてくれやいのう」

       八

 関川の滝之助は急に大|富限者《ぶげんしゃ》と成ったけれど、直ぐその金持|面《づら》をする時は、人から疑われるを知っていた。
 江戸へ出て、とも考えたが、三十六貫目の黄金を、どうして運んで好い事か、それにも迷わずにはいられなかった。
 身体はいくら大きくても、未《ま》だ十四歳。死んだ洞斎老人の遺言通り、徳川の家に仇するには、余りに準備が足りなかった。
 異国へ渡って切支丹《きりしたん》を学び、その魔法で徳川家を呪えという、それも洞斎の遺言であったが、いずれはそうしようとも考えながら、生れ故郷の関川を未だ一歩も出ずにいたのだ。そこへ高田城主の江戸詰と聞き、小さな復讐は放棄せよと、洞斎老人の意見ではあったなれど、いかにしても諦悟《あきらめ》が着かなかった。
 父の牢死、母の悶死、兄の刑死、それを思うと松平家を呪わずにいるのが耐えられぬ苦痛。それに又一方に於て、洞斎老人から伝授された奇薬を遣っての秘法をば、実地に行って見たくてならなかった。
 霧隠れ雲隠れの秘薬、かつてこれは洞斎から真田幸村にも教えて、風を利用して薬粉を散らし、敵の大軍へ一時に目潰しを食わせるという計画をも立てたのだが、大阪夏之陣の風の吹き方が、巧く注文に適《はま》らなかったのであった。
 それを滝之助は今日しも試みたのであった。最初に大田切で隙を狙って失敗したので、急いで変装して間道を駈抜けて、関川で再挙を企て又成らず、三度目の黒姫おろし、見事にこれは成功して、大名行列を一斉に盲目《めくら》にした。
 今又、里の娘に変装して、本陣内に忍び込み、宿直《とのい》その他の者に眠り薬を嗅《か》がして、高田殿の側まで接近したのであった。
 背筋の虫に螫された痕《あと》、その痒さを留《と》める役目なので、蚊帳の中に入っても直ぐと後へ廻った為、顔を見られずに済んだのであった。
 もうここまでに成ればこちらのもの、隠し持ったる鎌で、後から、高田殿の喉笛を掻切り、父兄の仇の幾分を報じるのだ。それから又表座敷へ廻って、越後守光長の首級《しるし》をも貰い受けよう。そういう復讐の念に燃えるので、滝之助は赫々《かっかっ》と上気して、汗は泉の如く身内に吹き出た。
「さァ苦しゅうない、寝間衣《ねまき》の上からでは思うように通るまい、肌|襦袢《
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