怪異暗闇祭
江見水蔭

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)天保《てんぽう》の頃

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)翌朝|深大寺《じんだいじ》門前

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(例)すり[#「すり」に傍点]
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       一

 天保《てんぽう》の頃、江戸に神影流《しんかげりゅう》の達人として勇名を轟かしていた長沼正兵衛《ながぬましょうべえ》、その門人に小机源八郎《こづくえげんぱちろう》というのがあった。怪剣士として人から恐れられていた。
「小机源八郎のは剣法の正道ではない。邪道だ。故に免許にはいまだ致されぬが、しかし、一足二身三手四口五眼を逆に行って、彼の眼は天下無敵だ。闇夜《あんや》の太刀の秘術を教えざるにすでに会得している。怪剣士というは彼がことである」
 師の正兵衛さえ舌を巻いているのであった。
 天保九年五月五日の朝。同門の若者、多くは旗本の次男坊達が寄って、小机源八郎を取囲んだ。
「ぜひどうか敵討《かたきうち》に出掛けて貰いたい。去年の今夜でござる。その節もお願いして置いた。この敵《かたき》を討ってくれる人は貴殿よりほかにはござらぬと申したので。や、その節快く御承諾下されたので、我々共は今日の参るのを指折り数えて待っておった次第で」
「なんでござったかな、敵討なんどと、左様な大事件をお引受け致したか知らん」
「御失念では痛み入る。それ、武州《ぶしゅう》は府中《ふちゅう》、六所明神《ろくしょみょうじん》暗闇祭《くらやみまつり》の夜、我等の仲間が大恥辱を取ったことについて」
「ああ、あの事でござるか」
 天保八年五月五日の夜、長沼門下の旗本の若者が六人で、府中の祭に出掛けたのであった。それは神輿《しんよ》渡御の間は、町中が一点の燈火《ともしび》も残さず消して真の暗闇にするために、その間において、町の女達はいうまでもなく、近郷から集って来ている女達が、喜んで神秘のお蔭を蒙《こうむ》りたがるという、噂《うわさ》の虚実を確めずに、その実地を探りにと出掛けたのであった。
 こうした敗頽《はいたい》気分に満ちている、旗本の若き武士はその夜、府中の各所に散って、白由行動を取り、翌朝|深大寺《じんだいじ》門前の蕎麦屋《そばや》に会して、互いに一夜の遭遇奇談を報告し合おうとの約束であった。
 さて、明くる朝、定めの家に六人集って見ると、六人が六人とも、鼻頭《はなさき》をそぎ取られていて、満足の顔の者は一人もないのであった。
「暗闇祭には怪物が出る。まさか神わざとも思われぬが、いかにしても残念。その正体を見届けて、退治て貰わなければ堪忍ならぬ」
 六人が六人とも、もとより暗闇の中の事ゆえ、正体を見届けようもなかったが、何者やら知れず前に立ったと思うと、忽ち鼻を切られたのだという。ただそれだけで一同取留めた事実が無かったのだ。
「天狗《てんぐ》の所業《しわざ》と云ってしまえばそれまでだが、いわゆる鎌鼬《かまいたち》の悪戯《いたずら》ではござるまいか」という説もあった。
「いや確かに人間でござった。心願あって、六所明神の祭礼に六つの鼻を切るという願掛けでも致したのではござるまいか」という説もあった。
「なれども、六人が六人とも切られたところに疑いがござる。こりゃ長沼の道場に遺恨のある者が、六人を見掛けて致したのではござるまいか」という。この説、はなはだ有力となった。
「しかし、まだほかに、鼻を切られた者があったかも知れ申さぬ。ありとすれば強《あなが》ち、長沼の門人とのみ限られたわけでもござらぬで」という説も出て、要するに何の目的で誰がそのような悪戯をしたのやら、少しも見当がつかぬのであった。
 小机源八郎も、これには多少の興味を持たぬではなかったので、
「よろしい。しからば拙者、府中へまかりこし、怪物の正体を見届け、巧《うま》く行けば諸氏の敵も討ち申そう。しかし、まかり間違ったら拙者の鼻もいかがでござるか」
 笑いながら出て行った。

       二

 江戸より府中までは八里。夕方前に小机源八郎は着いた。
 府中はいまさら説くまでもなく、古昔《いにしえ》の国府の所在地で、六所明神は府中の惣社《そうじゃ》。字は禄所《ろくしょ》が正しいという説もあるが、本社祭神は大己貴命《おおなむちのみこと》、相殿《あいでん》として素盞嗚尊《すさのおのみこと》、伊弉冊尊《いざなみのみこと》、瓊々杵尊《ににぎのみこと》、大宮女大神《おおみやひめのおおかみ》、布留大神《ふるのおおかみ》の六座(現在は大国魂《おおくにたま》神社)。武蔵《むさし》では古社のうちへ数えられるのだ。
 毎年五月三日には、競馬《くらべうま》が社前の馬場において、暗闇の中で行われる。四日には拝殿において神楽が執行される。五日には大神事として、八基の神輿が暗闇の中を御旅所《おたびしょ》に渡御とある。六日には御田植があって終るので、四日間ぶっ通しの祭礼を当込みに、種々《いろいろ》の商人、あるいは香具師《やし》などが入込み、その賑《にぎ》わしさと云ったらないのであった。
 源八郎は番場宿《ばんばじゅく》の立場茶屋《たてばぢゃや》に入って、夕飯の前に一杯飲むことにした。客はほとんど満員の有様なので、ようやく庭の隅の方の腰掛に席を取った。
「肴《さかな》は何があるな。甲州街道《こうしゅうかいどう》へ来て新らしい魚類を所望する程野暮ではない。何か野菜物か、それとも若鮎《わかあゆ》でもあれば魚田《ぎょでん》が好《よ》いな」
「ところがお侍様、お祭中はいきの好い魚が仕入れてございます。鰈《かれい》の煮付、鯒《こち》ならば洗いにでも出来まする。そのほか海鰻《あなご》の蒲焼に黒鯛《かいず》の塩焼、鰕《えび》の鬼殻焼《おにがらやき》」
「まるで品川《しながわ》へ行ったようだな」
「はい、みな品川から夜通しで廻りますので。御案内でもござりましょうが、お祭前になりますると、神主様達が揃って品川へお出《い》でになり、海で水祓《みそぎ》をなさいまして、それから当日まで斎《いみ》にお籠《こも》りで、そういう縁故から品川の漁師達も、取立ての魚を神前へお供えに持って参りまするが、同じ持って行くのならたくさん持って行って売った方が好いなんて、いつの間にやら商売気を出してくれたのが、私達の仕合せで、多摩《たま》の山奥から来た参詣人《さんけいにん》などは、初めていきの好い魚を食べられるなんて、大喜びでございます」
「そう講釈を聴くと江戸では珍らしくないが、一つ海鰻を焼いて貰って、それから鯒は洗いが好いな。まあその辺で一升つけてくれ」
「一升でございますか」
「いずれ又後もつけて貰う。白鳥《はくちょう》で大釜へつけて持って来い」
「へえへえ」
 小机源八郎は長沼の内弟子。言って見れば今の苦学生だ。金は無いのだ。ところが今日は暗闇で旗本六人が鼻をそがれた敵討というので同門から金を集めてくれたので、大分|懐中《ふところ》は温かいのだから、大束《おおたば》を極めて好きな酒が呑めるのであった。
 隣りの腰掛で最前から、一人でちびりちびり、黒鯛の塩焼で飲んでいる旅商人《たびあきんど》らしい一人の男。前にも銚子が七八本行列をしているのだが、一向酔ったような顔はしていなかった。色は青味を帯びた、眉毛の濃く、眼の鋭い、五分《ごぶ》月代毛《さかやけ》を生《はや》した、一癖も二癖もありそうなのが、
「お武家様、失礼ながら、大分御酒はいけますようで」と声を掛けた。
「いや余計もやらぬが、貧乏世帯の食事道具|呑位《のみぐらい》のものじゃ」
「へえ、貧乏世帯の食事道具呑……聴いたことがございませんな。それはどういう呑み方でございますか」
「金持の道具では敵《かな》わぬが、貧乏人の台所なら高が知れておる。それに一通り酒を注《つ》いで片っ端から呑み乾すのだ」
「へえ、それでは、まあ茶碗に皿、小鉢、丼鉢、椀があるとして、親子三人暮しに積ったところで、大概知れたもんでございますな。手前でもそれなら頂けそうでございます」
「ところが、拙者は茶碗や皿などは数には入れておらん。いくら貧乏世帯でも鍋釜はあるはず。それまで一杯注いで置いて呑む」
「こいつあ恐れ入りました」
 まさか小机源八郎、それ程呑めもしないのだが、座興《ざきょう》を混ぜて吹飛ばしたのだ。
 話が面白くなって酒も大分はずんで来た。
「や、拙者は当所の御祭礼は初めてだが、なんでも昨年は、暗闇の間に、余程奇怪な事が行われたと申すが、それはほんの噂に過ぎぬのか。それも本統にあった事かな」
 源八郎はこの旅商人が去年の祭にも来ていたというのからして、探りを入れて見たのであった。
 旅商人は少し真面目《まじめ》になって、
「旦那のお聴きになったのは、どんな出来事でございましたね」と問い入れた。
「されば、なんでもどこかの侍が数人とも顔面を何者にか知れず傷つけられたと申す事で」と明白《あからさま》には源八郎云わなかった。
「や、それは私として、初耳でございますが、私の聴きましたのは、ちっと違いますので」
「どんな話か、肴に聴きたいもんだな」
 そう云いつつ、猪口《ちょこ》代用の茶碗をさした。

       三

 旅商人は四辺《あたり》に気を配り、声を低めて、
「実は旦那、去年には限りません、毎年この暗闇祭には、怪しい事があるんでございますよ。ですが、それをぱっとさせた日には、忽ちお祭がさびれっちまうので、土地の者は秘し隠しにして居りますがね。昨年のはちっと念入りでございましたよ。女がね、お臀《しり》の肉を斬られたんでね。なんでも十二三人もやられたらしいんで。大道臼《だいどううす》のようなのは、随分斬り出があったろうと思います」と語り出した。
「ふむ、それは怪《け》しからん。女の臀部《でんぶ》を斬るとは一体何の為だか。いずれ馬鹿か、狂人《きちがい》の所業《しわざ》であろうな」と源八郎も新事実を聴いてちょっと驚いた。
「まだほかに何があったか知れませんが、それはただ私達の耳に入らねえだけのことだと思います。今夜もきっと何かあるだろうと思われますよ。何しろ諸方から大勢人が入込んで居りますから……それに、昨年は、信州《しんしゅう》のある大名のお部屋様が、本町宿《ほんちょうじゅく》の本陣《ほんじん》旅籠《はたご》にお泊りで、そこにもなんだか変な事があったそうで、それについては私は能《よ》く存じませんがね」
「大名のお部屋が泊っていても、矢張神輿渡御の刻限には火を消さずばなるまいな」
「それはもうどちら様がお泊りでも、火を点《つ》けることはできますまい」
 源八郎は考えた。六人の旗本の鼻を削ったのと、十数人の女の臀部を斬ったのと、又大名の愛妾《あいしょう》を襲ったのと、同一人物の手であるかどうか。これは研究物だと心着いたのであった。
 この時、旅商人は急に心づいた様子で、
「や、御武家様、私に限らず今夜はもうとてもこの宿《しゅく》へは泊れません、どこも一杯です。それで私は布田《ふだ》までのして置きまする。へえ、甲州へ絹を仕入れに行った帰りでございます。御免下さいまし」
 勘定を済ましてせっせと先に行ってしまった。源八郎はその旅商人を、どうも怪しいと睨《にら》まずにはいられなかった。
 道中の胡麻《ごま》の灰《はい》形の男にも見えた。あるいは又すり[#「すり」に傍点]稼ぎのために入込んだ者のようにも思われた。あいつが仕事のついでに、悪戯《いたずら》をして廻るのではあるまいか。そんな疑念をも生じたのであった。
 すり[#「すり」に傍点]は一種特異の刃物を掌中に持っている。それで巾着《きんちゃく》を切ることもあり、仕事の邪魔をした者に復讐的に顔面を傷つけるという話は聴いている。あの旅商人が巾着切とすれば、どうも鼻そぎ臀切りの犯人が、あいつのように思われてならぬのであった。
 あいつ真《しん》に甲州へ絹の仕入れに行き、江戸へ帰るべく今夜布田に泊る者とすれば、もうこの土地に姿を見せぬはず。もしあいつが暗闇の前後に、まだ府中の土地を踏んでいる
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