とすれば、もう確かだ。引捕えて白状さして、今度はこっちから鼻を落してやると、源八郎はそういう決心をして、酒は一升で打ち切り、勘定済まして立場茶屋を出た。
 まだ神輿出御の刻限には間があったので、源八郎は群集を避けて、本社の背後へと廻って見た。
 有名な乳房銀杏《ちぶさいちょう》から後《うしろ》には杉松その他の木が繁っていて、昼も暗いくらいだから、夜はまだ燈明を消さぬ間から暗いのであった。
 源八郎にはしかし、少しもそれが暗くないのであった。透《すか》せば朧気《おぼろげ》に立木の数も数えられるのであった。源八郎の眼は長沼正兵衛すらも驚いているのであった。
 小机源八郎は、武州|橘樹郡《たちばなごおり》小机村《こづくえむら》の郷士の子で、子供の時に眼を患ったのを、廻国の六十六部が祈祷して、薬師の水というのを付けてくれた。それで全治してから後《のち》は、不思議に夜目が利くようになったのであった。
 野獣の眼が暗夜に輝くという、そこまでには至らずとも、とにかく普通の者に比べると、薄々ながら見えるのであった。

       四

 何心なく源八郎は裏山の方を透して見た。すると大きな大きな欅《けやき》の樹の、すでに立枯れになっているのが、妖魔の王の突立つ如くに目に入った。その根下《ねもと》に、怪しい人影が一個認められた。
 気になるので密《そっ》と立木の間を縫って、近寄って見ると、意外にもそれは例の旅商人であった。
 いよいよ以て怪しいと思って、源八郎は忍び足に近寄ろうとすると、旅商人はすでにそれと感付いたらしく、立上って逃げようとした。
「おいおい、お前はまだここにいたんだな。布田の方へは行かなかったのか」
 源八郎は声を掛けた。
「おやっ」
 少からず旅商人は驚いた。
「旦那は、能くこの暗いのに、私ということが分りましたね」
「お前は又拙者が忍んで近寄ったのに、能く分ったの」
 向うも驚いたが、こちらでも驚いたのであった。
「へえ、私は、昼間より、夜分の方が眼が能く見えますんで」
「なに、その方も夜目が利くのか。拙者も実は夜目が利くのだ」
「おや、旦那も夜目がねぇ、へえ、そうでございますかい。じゃあ矢張、お稼ぎになるんですね」
「稼ぐとは何を」
「へへへへ」
「何を稼ぐと申すのか」
「なに、ちょっと、その」
「拙者を白浪《しらなみ》仲間とでも感違いを致したのか」
「まあ、その、ちょっとね。へへへへ、夜目が利くと仰有《おっしゃ》いましたので……どうも相済みません」
「するとその方は、確かに泥棒だな」
「御免なすって下さいまし。隠しゃぁ致しません。全く私は花婿仲間でございます」
「花婿仲間とはなんだ」
「夜目取《よめど》りで。へへへ、嫁取りに文字《もじ》ったので」
「江戸の者は泥棒まで洒落《しゃれ》っ気《け》があるな。面白い。そこでその方は、毎年暗闇祭には稼ぎに来るんだな」
「実は旦那、稼ぐというのは二の次で、遊び半分、まあ毎年来て居ります。私ばかりじゃぁございません。仲間の者がみな腕試しやら眼試しのために」
「腕試しというのはあるが、眼試しとはなんだ」
「この泥棒稼業に一番大事なのは眼でございます。暗闇で物を見るようにならなければ、好い稼ぎができません。それで泥棒、と云っても、それぞれ筋があるのでございますが、私達の仲間の古老からみな教わったのでございますが、食忌《しょくい》みをして、ある秘薬を三年の間|服《の》みつづけまして、それから又暗闇の中で眼を光らかす修業を二三年致します。泥棒になるんだって本統になろうと思うと、修業に骨が折れて楽ではございません。もちろんこれは昔のすっぱ[#「すっぱ」に傍点]の家から伝わった法が土台になっておるそうで……そこで、まあ私もその修業の法は早く済ましてしまいまして、闇夜でも手紙が読めるくらいまでには行っております。異名を五郎助七三郎《ごろすけしちさぶろう》と申しますが、七三郎が本名で五郎助は梟《ふくろう》の啼《な》き声から取ったのでございますがね」
「それで今、お前の仲間は」
「仲間は日本国中にどのくらいあるか知れませんが、関東だけでざっと五百二十人ばかり、でも本統に夜目の利く奴《やつ》は、僅かなもので、ようやく五人でございました。今から六年前のちょうど今月今日召捕られまして、八月十九日に小塚《こづか》っ原《ぱら》でお仕置を受けました鼠小僧次郎吉《ねずみこぞうじろきち》なんか、その五人の中には入って居りません。あんな野郎はまだ駆出しで」
「その五人というのは……」
「そう申しては口幅っとうございますが、先ずこう申す五郎助七三郎が筆頭で、それから夜泣《よな》きの半次《はんじ》、逆《さか》ずり金蔵《きんぞう》、煙《けむり》の与兵衛《よへえ》、節穴《ふしあな》の長四郎《ちょうしろう》。それだけでございます」
「変な名だな。それがみな、暗闇祭へ来たのか」
「揃って来たこともありましたが、近在の百姓衆の財袋《さいふ》を抜いたところで高が知れております。しかし、まあ、悪戯《いたずら》をするのが面白いんで、たとえば神様のいらっしゃる境内をも憚《はばか》らず、暗闇を幸いに、男女が密談などしているのを見付けては、知らない間に二人の髷《まげ》をちょん切って置いたりなんかして、脅かしてやりまして、以後そんな不謹慎な事をしないように誡《いまし》めてやりますので」
「去年も五人揃って参ったか」
「それが旦那、それからがお話でございます。夜泣きの半次は御用になりまして、まだ御牢内に居ります。煙の与兵衛は上方へ行って居りまして、一昨年には節穴の長四郎と、逆ずり金蔵と、私と、三人連れで参りましたがね。その時に、えらい目に遭《あ》いましてねえ」

       五

 奇怪極まる五郎助七三郎の話に、小机源八郎はすっかり聴き惚れてしまったのであった。
「どんな目に遭ったのか」
 五郎助七三郎は少しく興奮して、
「あんなのを天狗とでも云いましょうか。夜目の利く私達よりも、もっと夜目の利く山伏風の大男がね。三人で、ちょうどこの裏山で、抜き取った品物を出し合って勘定をしていたところへ、不意に現われて、金剛杖のような物で滅茶滅茶です。三人もじっとして打たれるようなのじゃあありません。懐中《ふところ》に呑んでいた匕首《あいくち》で、魂限《こんかぎ》り立ち向ったんですが、とても敵《かな》いませんでしてね。三人とも半殺しの目に遭わされました。それが原因で逆ずり金蔵は二月ばかり患って死んでしまいました。節穴の長四郎と私は湯治《とうじ》に行くてえような有様で……そこで去年、その敵討というので、すっかり準備をして、長四郎と二人でね、暗闇祭に来ましたがね」
「どんな準備をして」
「目つぶしです。目つぶしを仕入れて、それを叩きつけてから斬付《きりつ》ける手筈でしたが、矢張いけませんでした。長四郎があべこべに眼を潰されて了いました」
「向うから目潰しを投げたのか」
「いいえ、指を眼の中へ突込みやあがったので」
「酷《ひど》い事をするな」
「とうとう私一人になってしまいました。今年は口惜しいから、どうしても私一人で敵《かたき》を討つ了簡で、実は種ヶ島《たねがしま》を忍ばせているんでございます」
「去年も矢張山伏姿か」
「左様でございました」
「そいつではないか。去年、武家の顔面を傷つけたのは……」
「さあそうかも知れません」
「臀肉《でんにく》を切ったというのは、その者ではあるまいか」
「多分そうかも知れませんな」
「七三郎とやら、お前、拙者に隠してはいかんぞ。お前と長四郎とで、旗本六人の鼻の頭《さき》を斬ったのじゃあないか」
「いや隠しません。隠すくらいなら初めからなんにも云いません。や、白状ついでだから一つは云いますが、本陣へ忍び込んで、大名のお部屋様の小指を切って逃げたのは私です。その女は私の稚《おさな》友達だったのですから」
「じゃあ全く、その方、旗本の鼻や、女の臀を切ったのではないのだな」
「前には男女の髪は切りましたが、昨年は、お部屋様のほかにはなんにも致しませんでございました」
「そうか。実は拙者……」かくかくの次第と、旗本六人の敵討に来たことを物語った。
 五郎助七三郎は喜んだ。
「や、長沼先生の御高弟、小机先生でございましたか。そういうことならぜひどうかお力添えを願います。お旗本の鼻を削ったのも、怪しい山伏に相違ございませんぜ」
 この時大欅の枝の上で、
「あっはっはっはっはっ」と高笑いがした。
 さすがの小机源八郎もびっくりした。五郎助七三郎などは飛上って驚いた。
 透して見るとそこに人が登っていた。朧気《おぼろげ》ではあるが山伏の姿であった。
「なんだ、そんな所にいて、我々の話を黙って聴いていたのか」と源八郎は呼ばわった。
「夜目が利くの、闇夜《あんや》の太刀を心得ておるのと、高慢なことを申しても和主達《おぬしたち》は駄目だ。俺がここにいるのが見えなかったろう」と、樹上の怪人は嘲《あざけ》り気味に云った。
「ぐずぐず云わずとここへ降りて来い」
「降りても好い。だが、貴様達がそこにいては降りられない」
「こわくって降りられんのか」
「いや、そうじゃあない。俺は一足飛びにそこへ飛んで降りるのだが、ちょうど足場の好い所へ二人並んでいやあがる。邪魔だ」
「馬鹿を云うな。二人の前でも、後でも、右でも、左でも、空地はある。どちらへでも勝手に飛降りろ」
「だから貴様等の夜目は役に立たないんだ。まだ暗闇が見えるというところまでに達して居らない。貴様達の後には犬の糞《くそ》がある。それが貴様達には見えないだろう。前には山芋を掘った穴がある。能く貴様等は落ちなんだものだ。右には木の根が張っている。左には石や瓦のかけ[#「かけ」に傍点]が散《ちらか》っている。みな飛降りるのに都合が悪い。ちょうど貴様達二人のいる所が、草の生え具合から土の柔かみで、足場が持って来いだ。それをこの二丈五六尺から高い樹の上から、暗闇の中にちゃんと見分けることのできる俺だのに、貴様達にはそれができぬ。夜目について威張った口を利くのは止《よ》せっ」
 これには二人とも驚いた。正《まさ》しく天狗だ。いでその鼻の高いのを、降りて来て見ろ、斬落してくれるぞと、云い合さねど互いに待構えた。

       六

「さあ、飛ぶぞ。退《ど》かなけりゃあ片足をすり[#「すり」に傍点]の頭の上に、片足を三ぴんの頭の上に、乗っけて立つように飛んで見せるぞ」
 そう云いながら樹上の怪山伏は、一気に二丈五六尺の高さから飛降りた。
「えいっ」
 待構えていた小机源八郎は飛降りてまだ立直らないところを、度胆を抜くつもりで刀の背打《むねうち》を食わせようとした。
「はっはっはっ」
 後《うしろ》の方で又例の高笑いがした。
 前に飛んだのは、大きな幣束《へいそく》であった。後に山伏は早や立っていた。
 何しろ大男だ。顔までは能く分らなかったが、丈は雲を突くばかり、手には金剛杖を持っていた。
「生意気な山伏|奴《め》。さあ小机源八郎の闇夜の太刀先を受けて見ろっ」
「いくらでも受けるが、俺の姿が見えるかっ」と山伏は嘲笑《あざわら》った。
「何っ」
 一刀両断は神影流の第一義。これ、実の実たる剣法であったのを、見事に身を交わされて、虚の虚とさせられた。
「おのれっ」
 二度の打込は虚の実。二段の剣法。正面急転右替の胴切と出たところを、巧みに金剛杖で受留められた。
 杖に鉄条でも入っているのか、その杖さえも切落せぬので、源八郎もこれは手ごわいと、先ず気を呑まれた。
 源八郎危しと見て、五郎勘七三郎は、種ヶ島の短銃を取出し……までは、好かったが、その時代のは点火式で、火打石で火縄へ火を付けて、その又火縄で口火へ付けるという、二重三重の手間の掛かる間に、金剛杖でぐわんと打たれて、手に持っていた火打鎌が、どこへ飛んだか、夜目自慢の七三郎も、こうなると面食《めんくら》って、見付けられず、手探りに探っている間に、何度頭を金剛杖で撲《なぐ》られたか、数知れず、後には気絶して突伏してしまった。
 鋭く斬込んで来る源八郎を扱
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