世界に急変するのであった。家々の高張、軒提燈《のきぢょうちん》は云うも更なり、四ヶ所の大篝火《おおかがりび》は天をも焦《こ》がすばかりにて、森の鳥類を一時に驚かすのであった。
「又遣られたっ」
「今年は耳を切られた者が三人」
「鼻をそがれたのも五六人あるそうな」
「女は相変らずお臀だそうな」
群集の中で、あちらこちらに怪事件を語り伝えるのであった。
* * *
社後の裏山大欅の下に、真先に帰って来たのは怪山伏泰雲であった。はなはだ機嫌が悪く、ぶつぶつ独語《ひとりごと》をつぶやきながら、金剛杖で立木を撲りなどしていた。
そこへ怪剣士小机源八郎が、ぼんやりした顔で帰って来た。
「やあお前もしけ[#「しけ」に傍点]か」
「どうも見付からなかった」
「しかし、矢張、やられた者があるようだな」
「我々で見廻って発見されないのだから、すり[#「すり」に傍点]の野郎にはとても駄目だろう。今にしょげながら帰って来るよ」
そう話し合っているところへ、怪巷賊《かいこうぞく》五郎助七三郎が帰って来た。背中に黒髪振乱したる若い娘の、血に染ったのを背負って来た。
「はっはっはっ曲者が見付からないので、埋合せに美人を生捕って来たな。酒の酌でもさせようというのであろうが、それはよろしくない。帰してやれ。おや、ぐったりしているじゃあないか。気絶しているのか」
七三郎は黙ってそこへ娘を下した。そうして片手の平で鼻を一つ擦《こす》り上げて、腮《あご》をしゃくって反り身になり、
「さあどうだ。二人とも地面《じびた》に手を仕《つ》いて、お辞儀をしなせえ。拳固で一つ頭をこつんだ。もちろん酒は私が奢《おご》ってやる」と馬鹿に威張り出した。
「おいおい、血迷っちゃいかん。切られた娘を連れて来たって何になるか。切った奴を連れて来なけりゃあ駄目だ」と源八郎が笑いながら云った。
「ところがこの娘が今夜も遣ったんで、去年のも多分そうでしょう」
「えっ」
「お前さん達は男ばかり目を付けて廻ったから逃がしたんで、あっしは女に目を付けたんで奴と分った。当身で気絶さして、引担いで来たんです。御覧なさい、着物に血が着いている。手にも着いてるでしょう。帯の間に血塗《ちまみ》れの剃刀《かみそり》が手拭に巻いて捻込《ねじこ》んであります」
「うーむ」
今度は大竜院泰雲が唸り出した。
気絶している娘を三人で介抱して、蘇生さして、脅《おど》しつ透《すか》しつ取調べた。
最初は泣いてばかりいて、どうしても白状しなかったが、絶対にこの事実は秘密にしてやるという条件が利《き》いて、娘は奇怪なる犯罪の事実を告白に及んだ。
娘は社家《しゃけ》、葛城藤馬《かつらぎとうま》の長女で稲代《いなよ》というのであった。
神楽殿の舞姫として清浄なる役目を勤めていたのであったが、五年前の暗闇祭の夜に、荒縄で腹巻した神輿かつぎの若者十数人のために、乳房銀杏の蔭へ引きずられて行き、聴くに忍びぬ悪口雑言に、侮辱の極みを浴びせられたのであった。
余りの無念|口惜《くちお》しさ。それに因果な身をも耻《はじ》入りて、多摩川に身を投げて死のうとしたことが八たびに及んだ。それを発狂と見られて、土蔵の中を座敷牢にして、三年ばかり入れられていた。この裏面には継母の邪曲《よこしま》も潜むのであった。
既に定《さだま》っていた良家への縁談は腹違いの妹にと移された。
稲代はかかる悲運に陥《おとし》いれた種蒔の若者達を、極悪の敵《かたき》と呪わずにはいられなかった。けれどもどこの誰やら暗闇の出来事とて、もとより知れようはずがなかった。
復讐、それは誰に向って遂げようもない。悲劇中の悲劇であった。終《つい》には世の中を呪い出した。人間を呪い出した。別して若い男、若い女、それを無上に呪い出した。
三年の座敷牢。土蔵の中の暗さに馴れて、夜目が恐しく利くようになったのを幸、去年の暗闇祭に紛れて、男の鼻をそぎ、女の臀を切ったのであった。
そのために非常な快感を覚えたのであった。今年もまたそれを企てたのであった。これでは矢張|狂人《きちがい》なのであった。家人が座敷牢から自由にしたのが間違っているのであった。
不思議な事実を聴いて三人とも、娘稲代に同情して、好いか悪いか分らなかった。
「これではなるほど、犯人が分らなかったわけだ」と源八郎は云った。
「それを見付けたのは五郎助七三郎だ。や、いくら夜目が利くからって、お前さん達は本統の目先が利かねえのだから駄目の皮だ。そこへ行くと矢張江戸っ子でなくっちゃあ通用しねえ。この犯人を女と睨んだところが全く気の利いているところなんだ」と無闇に七三郎威張り出した。
「なんだ。貴様、すり[#「すり」に傍点]の癖に、生意気な事を云うなっ」と泰雲が赫《かっ》となっ
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