いながら、その隙間《すきま》に七三郎を参らしたのだから、どの位腕が利くか、ほとんど分らなかった。
「もう止せ。とても俺には敵うまい。ぐずぐずしていると貴様の命はなくなるぞ。や、それでは少し借しい。それに貴様達は考え違いをしておる。俺は旗本六人の鼻も切らねば、十数名の女の臀部も切らぬ」
「えっ」
「それについて実は俺も不思議に思っているところなんだ。さあ勝敗《しょうぶ》止《や》めて話し合って見ようじゃあないか」
止めるも止めぬもない。小机源八郎すでにへとへとで、ただ青眼に構えているだけで、四方八方隙間だらけだ。
「うーむ」
「唸らなくっても好い。まあ木の根にでも腰を掛けろ。おっとそこの木の根には毛虫が這ってる。貴様には見えまいが、俺には見える」
「何、毛虫がいたって構わん」
源八郎、敗《ま》けぬ気を出したわけではない。ほかの木の根を探すよりも、早く休みたいからであったのだ。
七
「一体、貴公は何者だ」と小机源八郎は、ようやく息を納めてから問うた。
「俺は本当の天狗だ。天狗にもいろいろあるが、俺のは正札付きの天狗だ。ただし昔話にある羽団扇《はうちわ》を持った、鼻の高い、赤い顔の、あんなのではない。普通の人間で、ちゃんと両親もある、兄弟もある。武州|御岳山《おんたけさん》で生れたんだ。代々山伏だ。俺の先祖は常陸坊海尊《ひたちぼうかいそん》。それから血統正しく十八代伝わっている。長命が多いので、百歳以上まで生きたのが二三人ある。代々夜目が利くんだ。俺は大竜院泰雲《だいりゅういんたいうん》という者だ」
なる程天狗だ。大天狗だ。
「それがどうして一昨年と昨年と、二年つづきで七三郎の仲間を、半殺しの目に遭わされたか」
「当り前じゃあないか。神祭《かんまつり》の際に悪事を働くなんど怪しからん奴等だから、懲らしめのために二年つづきで遣付《やっつ》けてやった。今年で根絶《ねだや》しに致すところなんだ」
「それでは、旗本六人の鼻は」
「や、それは本統に知らん。俺は全くそんな事はしらない。女の臀部を切ったのも全《まる》で知らん。ほかにあるに違いない。俺は暗闇を幸に悪事をする奴を懲らしめるために、毎年下山して来ておるが、どうも去年のだけは見当がつかぬ」
「すると、ほかにあるんだな。何者だろうか」
「や、面白い。どうだ、源八郎。貴様のようなのでも、とにかく夜目の利く一人だ。すり[#「すり」に傍点]の野郎も先ず先ず夜目が少しは見える。今夜はこの三人で暗闇の中を見廻って、左様な悪戯をする者を引捕え、以来手を出させぬように致してやろうではないか」
「それは結構。三人で暗闇の中を探して見よう」
「じゃあ、そのすり[#「すり」に傍点]を活かしてやろう」
大竜院泰雲が、七三郎に活を一つ入れた。
「うーむ」と七三郎は唸り出した。
「しっかりしろっ」と源八郎が呼ばわった。
「もうたくさんです」
「安心しろ、もう撲らん」
ここで三人が約束して、三方に散って、暗闇祭の中を縫い歩き、鼻切り臀切りの犯人を捕えたら、一先ずこの大欅の根下まで連れて来るということにした。
「誰が捕えるか、眼力くらべだ。敗けた者に酒を奢《おご》らせることにしようではないか」と源八郎が云い出した。
「や、それは御免だ。眼力も眼力だが、もし運が悪ければ見付けられない。俺が敗けたとなると貧乏山伏だから、酒代は出せぬ。そこで酒はすり[#「すり」に傍点]が人の金を取ってたくさん持っているだろうから、誰が見付けたに関らず、七三郎、貴様|一樽《ひとたる》買えっ。その代りだ、見付けた者が一番威張るということにして、敗けた二人は仕方がない、お辞儀をする。そうして一つ拳固《げんこ》で頭をこつん。これくらいの余興がないと面白くない」と泰雲が主張した。すり[#「すり」に傍点]の上前を跳ねて、酒を呑もうなんて、えらい奴もあったものだ。
こうして、遺伝性で夜目の利く大竜院泰雲。奇蹟的に夜目の利く小机源八郎。練習の功で夜目の利く五郎助七三郎。この三人は社後の林を出て、思い思いに三方に散った。
八
いよいよ暗闇祭の時は来た。神宮|猿渡何某《さるわたりなにがし》が神殿において神勇《かむいさめ》の大祝詞《おおのりと》を捧げ終ると同時に、燈火《ともしび》を打消し、八基の神輿は粛々として練り出されるのであった。
七基は二の鳥居前より甲州街道の大路を西に渡り、一基は随身門《ずいしんもん》の前より左に別れ、本町宿の方から共に番場宿の角札辻《かどふだつじ》の御旅所にと向うのであった。
三人は三人互いに姿を晦《くら》まして、どちらに向ったか知れぬのであった。
* * *
くさくさの式も首尾好く終って鼕々《とうとう》と打鳴らす太鼓の音を合図に、暗黒世界は忽ち光明
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