様でございました」
「そいつではないか。去年、武家の顔面を傷つけたのは……」
「さあそうかも知れません」
「臀肉《でんにく》を切ったというのは、その者ではあるまいか」
「多分そうかも知れませんな」
「七三郎とやら、お前、拙者に隠してはいかんぞ。お前と長四郎とで、旗本六人の鼻の頭《さき》を斬ったのじゃあないか」
「いや隠しません。隠すくらいなら初めからなんにも云いません。や、白状ついでだから一つは云いますが、本陣へ忍び込んで、大名のお部屋様の小指を切って逃げたのは私です。その女は私の稚《おさな》友達だったのですから」
「じゃあ全く、その方、旗本の鼻や、女の臀を切ったのではないのだな」
「前には男女の髪は切りましたが、昨年は、お部屋様のほかにはなんにも致しませんでございました」
「そうか。実は拙者……」かくかくの次第と、旗本六人の敵討に来たことを物語った。
五郎助七三郎は喜んだ。
「や、長沼先生の御高弟、小机先生でございましたか。そういうことならぜひどうかお力添えを願います。お旗本の鼻を削ったのも、怪しい山伏に相違ございませんぜ」
この時大欅の枝の上で、
「あっはっはっはっはっ」と高笑いがした。
さすがの小机源八郎もびっくりした。五郎助七三郎などは飛上って驚いた。
透して見るとそこに人が登っていた。朧気《おぼろげ》ではあるが山伏の姿であった。
「なんだ、そんな所にいて、我々の話を黙って聴いていたのか」と源八郎は呼ばわった。
「夜目が利くの、闇夜《あんや》の太刀を心得ておるのと、高慢なことを申しても和主達《おぬしたち》は駄目だ。俺がここにいるのが見えなかったろう」と、樹上の怪人は嘲《あざけ》り気味に云った。
「ぐずぐず云わずとここへ降りて来い」
「降りても好い。だが、貴様達がそこにいては降りられない」
「こわくって降りられんのか」
「いや、そうじゃあない。俺は一足飛びにそこへ飛んで降りるのだが、ちょうど足場の好い所へ二人並んでいやあがる。邪魔だ」
「馬鹿を云うな。二人の前でも、後でも、右でも、左でも、空地はある。どちらへでも勝手に飛降りろ」
「だから貴様等の夜目は役に立たないんだ。まだ暗闇が見えるというところまでに達して居らない。貴様達の後には犬の糞《くそ》がある。それが貴様達には見えないだろう。前には山芋を掘った穴がある。能く貴様等は落ちなんだものだ。右には木の根が張っている。左には石や瓦のかけ[#「かけ」に傍点]が散《ちらか》っている。みな飛降りるのに都合が悪い。ちょうど貴様達二人のいる所が、草の生え具合から土の柔かみで、足場が持って来いだ。それをこの二丈五六尺から高い樹の上から、暗闇の中にちゃんと見分けることのできる俺だのに、貴様達にはそれができぬ。夜目について威張った口を利くのは止《よ》せっ」
これには二人とも驚いた。正《まさ》しく天狗だ。いでその鼻の高いのを、降りて来て見ろ、斬落してくれるぞと、云い合さねど互いに待構えた。
六
「さあ、飛ぶぞ。退《ど》かなけりゃあ片足をすり[#「すり」に傍点]の頭の上に、片足を三ぴんの頭の上に、乗っけて立つように飛んで見せるぞ」
そう云いながら樹上の怪山伏は、一気に二丈五六尺の高さから飛降りた。
「えいっ」
待構えていた小机源八郎は飛降りてまだ立直らないところを、度胆を抜くつもりで刀の背打《むねうち》を食わせようとした。
「はっはっはっ」
後《うしろ》の方で又例の高笑いがした。
前に飛んだのは、大きな幣束《へいそく》であった。後に山伏は早や立っていた。
何しろ大男だ。顔までは能く分らなかったが、丈は雲を突くばかり、手には金剛杖を持っていた。
「生意気な山伏|奴《め》。さあ小机源八郎の闇夜の太刀先を受けて見ろっ」
「いくらでも受けるが、俺の姿が見えるかっ」と山伏は嘲笑《あざわら》った。
「何っ」
一刀両断は神影流の第一義。これ、実の実たる剣法であったのを、見事に身を交わされて、虚の虚とさせられた。
「おのれっ」
二度の打込は虚の実。二段の剣法。正面急転右替の胴切と出たところを、巧みに金剛杖で受留められた。
杖に鉄条でも入っているのか、その杖さえも切落せぬので、源八郎もこれは手ごわいと、先ず気を呑まれた。
源八郎危しと見て、五郎勘七三郎は、種ヶ島の短銃を取出し……までは、好かったが、その時代のは点火式で、火打石で火縄へ火を付けて、その又火縄で口火へ付けるという、二重三重の手間の掛かる間に、金剛杖でぐわんと打たれて、手に持っていた火打鎌が、どこへ飛んだか、夜目自慢の七三郎も、こうなると面食《めんくら》って、見付けられず、手探りに探っている間に、何度頭を金剛杖で撲《なぐ》られたか、数知れず、後には気絶して突伏してしまった。
鋭く斬込んで来る源八郎を扱
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