云わせるのだ」
「お前さんは実に偉い。智慧者《ちえしゃ》だねえ。そうすればお玉さんは松五郎の子で無いのだから、敵《かたき》同士の悪縁という方は消えて了うね」
「そうだよ。それで双方申分が立つてえものだ。なアにどっちからも惚《ほ》れ合っているのだから、こいつは少々怪しいと思っても、筋さえ立っている分には、それで通して了おうじゃアねえか。人間このくらいな細工をするのは仕方がねえよ。嘘も方便で、仏様でも神様でも、大目に見て下さろうじゃアねえか」
「では早速そういう事に取掛るに就ては、内の老爺《おやじ》をここへ呼んで来ますよ」
「その序《つい》でにお玉坊のところへも一寸《ちょっと》立寄って、悪い様にはしねえ。近い内に好い便りを聴かせるから、楽しみにして待っていねえと、そう云って喜ばして置くが好いぜ」
「ああそうしましょう」
「留守の間《うち》に店の菓子を片っ端から食べるが好いかい」
「好いどころじゃア無い、前祝いに一升|提《さ》げて来ますよ」
「有難い。魚は海※[#「魚+喞のつくり」、第3水準1−94−46]《かいず》も結構だッたが、子持の蟹が有ったら二三バイ頼むぜ」
「好う御座んす。探して来ましょう」
慾に目の眩《くら》んだ茶店の嬶さんは、駈出して行った。
「これせえ纏まれア、御主人もお喜び。お玉坊だッて喜び、俺達も甘え汁が吸えるというものだ。我ながら好い智慧を出したものだ」
市助はもう物になった了簡。煎豆をポリポリ噛《かじ》って待っているところへ、顔色を変えて嬶さんが戻って来た。
「どうしたい」
「大変です」
「何が大変だ」
「死にましたよ」
「お前の老爺《おやじ》が死んだのか」
「なアに、家の老爺はピンピンしていますが、大事なお玉さんが血を吐いて死にましたよ」
「えッお玉坊が死んだ?」
血を吐いて死んだというのは肺病であったかも知れぬ。肺病なら矢張今日では癩病《らいびょう》に次いで嫌われるのだが、その頃には一向問題にしていなかった。
「一足違いだッた。その事を聴かしたら病気も快《よ》くなって、死なずに出世も出来たろうのに……」
慾は慾として、あわれ薄命なお玉の為に茶店のお嬶は泣いた。市助も泣いた。
海賊の娘は遂に旗本の奥方になり得ずして死んだ。
その墓は、朗羽山《ろううざん》長照寺《ちょうしょうじ》内に建てられた。六浦琴之丞は、一水舎宗匠及び市助と共に、一度墓参に来たが、間もなく又琴之丞も吐血して死んで、六浦の家は断絶して了った。琴之丞の肺病がお玉に感染したのか、お玉の方にその気があって感染したのか、そこは不明。
六郷川の中洲の蘆間にただ一度の契《ちぎ》りから、海賊の娘と旗本の若殿との間に、業病《ごうびょう》の感染。悪因縁《あくいんねん》の怨《うらみ》は今も仰々子《ぎょうぎょうし》が語り伝えている。
底本:「怪奇・伝奇時代小説選集5 北斎と幽霊 他9編」春陽文庫、春陽堂書店
2000(平成12)年2月20日第1刷発行
底本の親本:「現代大衆文學全集2」平凡社
1928(昭和3)年
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5−86)を、大振りにつくっています。
入力:岡山勝美
校正:門田裕志
2006年9月22日作成
青空文庫作成ファイル:
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