二日掛ったのもある。それは品川《しながわ》の飯盛女《めしもりおんな》に引掛ったので。
そもそも羽田の弁天の社は、今でこそ普通の平地で、畑の中に詰らなく遺《のこ》っているけれど、天保時代には、要島《かなめじま》という島に成っていて、江戸名所図絵《えどめいしょずえ》を見ても分る。此地眺望最も秀美、東は滄海《そうかい》漫々《まんまん》として、旭日《きょくじつ》の房総《ぼうそう》の山に掛るあり、南は玉川《たまがわ》混々《こんこん》として清流の富峰《ふほう》の雪に映ずるあり、西は海老取川《えびとりがわ》を隔て云々、大層賞めて書いてある。
この境内の玉川尻に向った方に、葭簀《よしず》張りの茶店があって、肉桂《にっけい》の根や、煎豆や、駄菓子や、大師河原《だいしがわら》の梨の実など並べていた。デブデブ肥満《ふと》った漁師の嬶《かみ》さんが、袖無し襦袢《じゅばん》に腰巻で、それに帯だけを締めていた。今時こんな風俗をしていると警察から注意されるが、その頃は裸体《はだか》の雲助《くもすけ》が天下の大道にゴロゴロしていたのだから、それから見るとなんでも無かった。
「好い景色では無いか」
「左様で御座いま
前へ
次へ
全33ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
江見 水蔭 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング