」
中間こそ好い面の皮。
「ねえ、御前、故人の句に御座いますね。涼しさや帆に船頭の散らし髪。これはしかし、千石船か何かで、野郎の船頭を詠んだので御座いましょうが、川船の女船頭が、梶座に腰を掛けているのに、後から風が吹いて、アレあの様に乱《ほつ》れ毛《げ》が頬に掛るところは、なんとも云えませんな。そこで、涼しさや頬に女船頭の乱れ髪。はははは字余りや字足らずは、きっと後世に流行《はや》りますぜ」
相変らず宗匠、駄弁を弄《ろう》している間に、酔が好い心持に廻ったと見えて、コクリコクリ。後《のち》には胴の間へ行って到頭横になって了《しま》った。
宗匠の坊主頭と、梨の実と、空瓢箪と、眉間尺《みけんじゃく》の三ツ巴。コツンコツンを盛んにやったが、なかなかに覚めなかった。
市助も舳で好い心持に寝て了った。
若殿と女船頭とただ二人だけ起きているのが、どちらからも口を利かないから、静かなものだ。
蘆間の仰々子《ぎょうぎょうし》もこの頃では大分鳴きつかれていた。
「姐さん……」
「はい……」
「お前の名は何んと申すか」
「……玉《たま》と申しますよ」
「お玉だね……玉川の川尻でお玉とは好い名だね。大層お前は親孝行だそうだね」
「いいえ……嘘で御座いますよ」
「両親は揃っているのかい」
「いいえ、母親ばかりで御座います」
「それは心細いね。大事にするが好い」
「まア出来るだけ、楽をさしたいと思いますが……餌掘りや海苔《のり》拾い、貝を取るのは季節が御座いますでね、稼ぎは知れたもので御座います」
「でも、こうして船を頼む人が多かろうから……」
「いいえ、偶《たま》にで御座いますよ。日に一度|宛《ずつ》お供が出来ますと好いのですが、月の内には数える程しか御座いませんよ」
「それでは困るねえ、早く婿《むこ》でも取らなくッちゃア……」
「あら、婿なんて……」
「だッて、一生独身で暮らされもしなかろう」
「それはそうで御座いますが、私、江戸へ出て、奉公でもしたいと思っております」
「奉公は好いな。どうだな、武家奉公をする気は無いかな」
「私の様な者、とても御武家様へはねえ……こちらで置いて頂きたくッても、先方様《さきさま》でねえ」
「いいや、そうで無いよ。お前の様な美顔《きりょう》で、心立《こころだて》の好い者は、どのくらい武家の方で満足に思うか分らない」
「おほほほは、お客様、お弄《なぶ》りなさいますな」
「いや、本統《ほんとう》だよ、奉公どころか、嫁に欲しいと望む人も出て来るよ」
「おほほほは、私、羽田の漁師を亭主に持とうとも思いませんが、御武家様へ縁附こうなんて、第一身分が違いますでねえ」
「身分なんて、どうにでもなるもんだよ。仮親さえ拵《こしら》えればね」
「……ですが……私はとても、そんな出世の出来る者では御座いません」と急にお玉は打萎《うちしお》れた。
若殿の心の帆は張切って来た。
「いや、そんな事はどうにでもなるんだよ。とにかく、どうだね、身が屋敷へ腰元奉公に来る気は無いか」
「えッ、御前の御屋敷へ?」
とんと洲へ船を乗上げた。話に実が入って梶を取損《とりそこな》ったからであった。
市助まず喫驚《びっくり》して飛起きると、舳を蘆間に突込んだ拍子《ひょうし》に、蘆の穂先で鼻の孔を突かれて。
「はッくしょイ」
宗匠は又坊主頭を蘆の穂先で撫廻《なでまわ》されて。
「梨の実と間違えて、皮を剥《む》いちゃア困ります」と寝惚《ねぼ》けていた。
五
やがて船を大師河原の岸に着けた。
「さて、ここが森下というのだね。平間寺《へいけんじ》へ御参詣、厄除《やくよけ》の御守を頂きにはぜひ上陸|然《しか》るべし。それから又この船で川崎の渡場まで参りましょう」と宗匠はさきに身支度した。
中間市助は、早や岸に飛んで、そこに主人の雪駄《せった》を揃えていた。
それで未だ若殿は立上りそうも無いのであった。
「痛ッ、痛ッ、どうも腹痛で……」と突然言い出した。
「えッ、御腹痛、それには幸い、大森で求めた和中散《わちゅうさん》を、一服召上ると、立地《たちどころ》に本腹《ほんぷく》致しまする」と宗匠、心配した。
「いや、大した事でも無い。少しの間《うち》、休息致しておれば、じき平癒致そうで……どうか身に構わず行って下さい」
「でも、御前《ごぜん》がお出《い》でが無いのに、我々で参詣しても一向|興《きょう》が御座いませんから……」
「いや、遊びの心で参詣ではあるまい。大師信心……どうか拙者《せっしゃ》の代参として、二人で行って貰いたい」
中間市助、宗匠の袖を引いて。
「それ、御代参で御座いますよ。宗匠、分りましたか。二人は御代参……ね、厄除の御守りを頂くので御座いますよ」と目顔《めがお》で注意を加えた。
「な、な、な、なる程、や、確かに二人
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