行かない分が、二千八百石御旗本の御側女《おそばめ》になら、今日が今日にでも成られるので、支度料の二百両、重いけれど愚庵は、これ、ここに入れて来ているのだがね」
「それはどうも有難う御座います」
「待ってくれ、礼には早い」
「左様ですか」
「若い同士二人でモヤモヤしている間《うち》は、顔が美しくッて、気立が優しくッて、他に浮気もせず、殿を大事にさえしておれば、好いに相違無いが、いずれは二人の間に、子宝が出来ると考えなければならない」
「それはそうで御座いますよ。あの娘は、六人や七人は大丈夫産みますね」
「その時にだ、能《よ》くある奴《やつ》、元の身分を洗って見ると、一件だッてね」
「一件?」
「一件で無いにしたところで、癩病《なりんぼう》の筋なんか全く困る」
「それはそうで御座いますねえ」
「どうも世継の若様が眉毛が無くッては、二千八百石は譲られない」
 家の相続、系統上の心配は、現代の我々が想像出来ない程昔は苦労にしたもので、断家《だんけ》という事は非常に恐れていた時代だから、血統に注意するのは無理では無かった。
「そこで、念には念を入れて、身元を洗って来てくれ。これは金銭に換えられぬ家の一大事だからと、御隠居奥様から、入用として別に頂いて来ているので、それを残らずお前に上げては、愚庵も困る。そこで、お嬶さん、何もかも打明けての話なんだ。お前を味方と抱き込んでの話なんだ」
「へえへえ、いくらでも抱き込まれますよ」
「そんなに傍へ寄って来なくッても好い。そこでお嬶さん、愚庵の立前《たちまえ》を引いて、お前さんに、小判で十両上げよう」
「小判十両! 結構で御座います」
「まアお待ちよ。この十両はだね、この十両は巧く話が纏《まと》まったら、御礼として上げるのだよ」
「だと、話が纏まらない時は、頂け無いのですか」
「そこだよ。愚庵も江戸ッ子だ。話がバレたとしても十両上げるよ」
「だと、お玉坊の本統の身元を申上げて、それが為にバレになりましても、十両……」
「その代り、話が纏まっても十両、どっちへ転んでも十両で、お前に損は無いのだから、本統の事さえ教えて貰えば好いのだよ。嘘偽《うそいつわ》りを教えられたのでは後日になって、愚庵が申分けが無い。申分けが無いとなると、切腹するより他には無いのだが、同じ死ぬのならお前のドテッ腹へ風穴を穿《あ》けて、屍骸が痩《や》せるまで血を流さした
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