消えてしまった。
 ――ヨシユキ、妾一人が幸にはなれないのです。露西亜《ロシア》の女が各国で乞食と売春と恋慕のために深い忍耐力を養っている間妾一人が堅気《かたぎ》にはなれないのです。
 ――アンナ・ニコロ、貴女もまた運命を苛酷に取あつかう女の一人なのです。
 スラビナがわめいている、三人の外国人の腕の中で、アフガニスタンの山脈のような胴体をつねられて悲しみは赤く腫《は》れあがってしまった。支那の黄色の液体が戦線の雇兵《ようへい》に青いスラビの唇、大砲が走る。追いかけ呼びもどして三人の見事な口髭《くちひげ》、銀色の呼吸を流して、年増女の深い思いが高潮に達したときニコロは私の白いワイシャツの皮膚に彼女の眉墨《まゆずみ》でもって、レニングラードに向かって驀進《ばくしん》する機関車と食用蛙を描いて東洋人が彼女の未来の夫であることを象徴するのであった。不幸なことに北海から税関をかすめて密輸入される鮭類と黒狐の肉は腹を満たすためには四十|法《フラン》が必要なので、アンナ・ニコロはスラビナに食欲さえ感じて黙ってしまうのだが、それにも拘《かかわ》らず私は現代のロシアの気狂い染みた歴史家の記録が純粋な女
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