シングホールでは華やかな腰を振って踊子がシンミイダンスを踊っていた。いつのまにか私の片隅の卓子に私の夜の恋人があらわれるとボーイにシャンパンを命ずる。シャンパンのキルクがボーイの鉤鼻《かぎばな》から落下すると私のパートナアが横目をつかってボーイに現金で酒代とチップを渡すように催促して別に靴先につける天花粉の代金十|仙《セント》を請求する。やがてシンミイダンスが終って素足の踊子達が誇らしげにテーブルのうえに美しく化粧された足の指を投げ出した。場内はビールの満が引かれ人々は五色の陽光に上気するのであった。私のパートナアが酒果の祝福を私に与えてから私が日本人である故貴方は油断のならぬ国民である、今後彼女西欧の人種は日本人によって不幸になるであろうことなど臆測を交えて語り出すのであった。私はまた日本人は野心家であるが、それにもまして日本人がお人好しであること、恋を恋とも思わぬ日本人の高潔は畢竟《ひっきょう》それは日本人に不足した性教育のためである。また西欧人のように感情がデリケートでないためである。我々日本人は武勇を誇る国民であるがその実支那と朝鮮沖で軍艦から鉄砲を打ったことと満州で露西亜人相手に戦ったのだが、日本人の余り近代人ばなれのした乱暴さにさすがに出鱈目《でたらめ》の露西亜《ロシア》人も懲々《こりごり》してステッセルと云う将軍が子供をあやすように仲直りをしてくれと云ってきたこと、日本人は極端に臆病であるため虚心坦懐な西欧人の目から見ると、それが陰険にさえうつるので自分のように日本の伝統をもたない日本人の顔をもって生れたものは甚だ迷惑であることをくどくどと私が私のパートナアに話して、であるから自分のような日本人には貴女の美しさとか健康さを直感して貴女を讃美することは、他の国民にも増して劣るものではないことを切々と話す、そのとき場内の電光が絞られてコンダクターの指揮棒がはねかえると数十本の楽士達の手足が渦を巻いて低声で唄いながら踊子達が立上がる。私はパートナアの金髪の波をかきわけてフォックストロットの足並を揃える。すると私の踊友達は中指で私をつつきながら、それでは日本人は野蛮人でもときによると貴方みたいに文明的な日本人もあるので、文明人には国と国の境界はないのだから妾は貴方をわるくは思わないと彼女が云った。

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 私が室蘭丸に帰船したのは午前三時に近かった。船はルビー色の飾をつけて静かに横《よこた》わっていたが突然黄色い声で外国詩の慟哭《どうこく》する金切声が聞えた。また絶えず石炭を積み込む荷揚ロープの緩急が打ち寄せる波の音と和して、消燈された甲板のゴルフ棒の蔭で船員と港の土人街の女とが抱擁して別離を悲しんでいる。女が一緒に日本へ行きたいと訴えるのだが、船人のたくましい腕の絆も別離が切って落す。サルーンでは数人の英国人が別れの唄を合唱している。一人が女優らしく胸を張ってバイロンの大洋の歌を独吟しては泣き出す。私が部屋に這入《はい》ると絹のハンカチに涙の地図をかいた女が私の姿を見ると罵《ののし》るように、妾は日本が憎い、妾の恋しい人を連れ出すのはこのインボスタ奴《め》! このジャブです。すると若い青年が私をなぐさめるように、女が気狂いであること、生れが悪いので酔うと恋病にかかることを説明した。
 水平線に赤いラインが鬼火のように明滅しだすと機関室からエンジンの廻転が響きだす。最初の銅羅《どら》が暁を破ると見送人達は鉄梯子《てつばしご》を下りて対岸に並ぶと、二度目の銅羅と一斉にわめき出す。下甲板の新嘉坡《シンガポール》へ行く印度の行商人相手の物売りが上陸してしまうと汽笛が垂直に空から落下傘となって人々のうえに舞いおりる。すると桟橋をだんだんと船体が離れ出した。椰子の樹下のタクシーに英国人十数人が一人の女を胴あげにして一塊《ひとかたまり》になると喚声の間に泣き叫ぶ女の哀調をのこして砂塵《さじん》をたてて見えなくなってしまった。私が自分の部屋にかえると隣の寝台にカーテンも引かないでペチ・コートのまま仰向けになったアダが、夢うつつにも寝床で寝るトア・ズン・ドルの女を再び見出した。

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 午後になって、オリブ色の水を皮膚の油ではじきながら私は浴槽に浸って額のアダの唇の跡をぬぐいとるのであった。船はバンマート沖の炎熱の下を進行していた。部屋にかえるとアダは体操を開始してポスト孔から大洋に向って胸の悪気流を吐き出した。起きてから私が一言も口をきかないので、照れかくしに私の胸にボクシングで穴をあける真似をして片足を私の鼻につきだしてがらがらとした声でおしゃべりを始めようとするので、私が扇風機に電流を通じる。
 ――Y、貴方がそんなにお嫌なのなら妾はアラビア海に身投げしてしまいます。どうせ妾はマルセーユあたりの口髭《くちひ
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