げ》のはえた女友達とつきあっていた女です。妾がアングロ・サクソンの諾威《ノルウエー》人によって子宮炎を起し、チュトン族の独逸《ドイツ》人によって戦術を会得し、ケント族のフランス人から無意味で得体のしれぬラブ・レタと嬉しがらせの骨《こつ》を覚え、歓喜の最中夢中独待の下品な言葉をもらすアングロサクソン種の和蘭《オランダ》人、オットマン帝国の土耳古《トルコ》人からは古代のシステムの掟を、アイオニア民族の希臘《ギリシャ》人からは商売の極意を教わりました。それが貴方とふとしたことからトア・ズン・ドルで背中合せになってから、私は貴方が矮小《わいしょう》でこざかしい日本人であることを知りながら貴方が慕わしくてならないのです。妾にとってY、貴方がエトナ火山の熱気よりも、モンテ・クリスト島の神秘さにもまして深い誘惑となるのです。妾のことをメッシナ海峡などと思わないでください。
――私はまた、浮気な貴女を愛することは禁断道路を歩むよりも一層困難に思うのです。
――妾が不可《いけ》なかったのです。妾が色気狂いのような真似さえしなかったならば!
――アダ、私は貴女が容易《たやす》く身を委すたびに飛行機のプロペラのこわれたように扁平な地球からころげ墜《お》ちるような大陸的な叫声を出すのを知っているのです。その他、私は貴女が男装して男の前でズボンを脱いでみせる芸当と、フォルベルゼエルの寄席の衣裳の綺羅《きら》を棄てた手踊と。つまり私のように古くからの恋愛にあまんじた男は貴女のように、知り合うと直《ただち》に知ってしまう恋の形式は、それからどうして恋愛を作り出すのかが私にはわからないのです。
――Y、妾を伊達《だて》の花嫁と思ってくれない?
――アダ、貴女の浮気の虫はいつまでたってもなおらない。
――妾は貴方を愛する。無我夢中で。
と、アダが云った。
私は後尾甲板のソファにもたれている。午後三時、太陽が黄色に沈む。アラビア海の鱶《ふか》の大群が白い尾を暮色に飜《ひるがえ》す。旧教の尼僧が静粛に聖書に読み耽っている。アダがマルセーユあたりの歌劇女の着る巴里風の意気な衣裳をつけてやってくる。ボーイが炭酸水とウイスキーを籐の卓子に置いて去ると、恋は異なものね、と云うような顔附をして炭酸水にウイスキーを入れたコップを涼しげにのむのであった。それから私達は骨牌《カルタ》で狐[#「狐」に傍点]と狸[#「狸」に傍点]という競技をするのだが、狐になったずるい彼女のために散々狸の私は打ち負かされてしまうのであった。
――アダ、貴女はずるい! いまになって貴女の深いたくらみが私には分ってきた。
――妾は深いたくらみを持っているのです。Y、貴方が妾を愛するまでは。
ゴールブル山脈に熱帯風が吸いこまれて、午後の強風に身を揺られながら私達はいつとはなしに深い愛情を感じていた。
底本:「吉行エイスケ作品集」文園社
1997(平成9)年7月10日初版発行
底本の親本:「吉行エイスケ作品集1[#「1」はローマ数字、1−13−21] 地図に出てくる男女」冬樹社
1977(昭和52)年9月30日第1刷発行
※底本には「吉行エイスケの作品はすべて旧字旧仮名で発表されているが、新字新仮名に改めて刻んだ。このさい次の語句を、平仮名表記に改め、難読文字にルビを付した。『し乍ら→しながら』『亦→また』『尚→なお』『儘→まま』『…の様→…のよう』『…する側→…するかたわら』『流石→さすが』。また×印等は当時の検閲、あるいは著者自身による伏字である。」との注記がある。
入力:田辺浩昭
校正:地田尚
2001年2月19日公開
2006年5月20日修正
青空文庫作成ファイル:
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